FIRE後に「暇を持て余す」と言う人は少なくありません。
そんな「暇」とは、単に時間が余っているというより、「欠乏している」との意味で使われることが多いと思います。
欠乏とは、会社という仕組みの中に長くいたことで、無意識のうちに会社から「与えられ、満たされていた」というものが、FIREによって「不足している」と感じる状態です。
今日はそんなFIRE後に感じる「暇」について、5つの欠乏タイプ(①関心の枯渇、②関係の枯渇、③成長の枯渇、④意味の枯渇、⑤構造の枯渇)に分類して綴ります。
① 関心の枯渇(=好奇心の停止)
FIREで自由を得ても、新しいことに心が動かない、そんな好奇心が不足しているタイプです。
会社では、与えられた仕事をこなしたり、指示されたことをやるだけの行動が多かった結果、自由を得ても好奇心をもって行動を起こす習慣が生まれないためです。
そんな無関心の高い状態で「暇だ」と感じてしまうわけです。
やはり何事も「まずは小さく動く → 小さく気づく」というサイクルを自分で意識して作り出すなどで好奇心は刺激されると思います。
好奇心は最初からあるのではなく、小さな行動から育つからです。
② 関係の枯渇(=社会とのつながりの喪失)
FIREで自由を得ても、人との関わりが減ってしまったことで社会のつながりが不足していると感じるタイプです。
会社は自動的に「人と関わる仕組み」が提供されていたので、FIRE後、社会と断絶されてしまったことを「社会から取り残されている感じがしてなんとなく暇だ」と感じてしまうわけです。
やはりFIRE後は、そうした社会とのつながりはを自ら準備設計しなければなりません。
趣味や学び、地域活動など、ゆるやかな社会とのつながりを持つことも可能なので、そうした行動をすることが大事です。
③ 成長の枯渇(=評価軸の消失)
FIREで自由を得ても、自分の成長を測るものさしや機会がなくなり、成長や向上もなく停滞していると感じるタイプです。
仕事では、会社独自の評価があって、それに沿っていることで承認も達成感も得られます。
FIRE後は、そうした「評価」から脱却してしまうので、自ら興味のある分野のスキルや知識を習得したりといった新たな自分の軸へ転換することが大切です。
かならずしも仕事での成長だけが全てではないといった捉え方に変わらない限り、この問題は解決できません。
僕の場合は会社基準の成長に囚われない状態をこうして持つことで自然解消しました。
退職時に「辞めると成長は止まるよ」との忠告を今どう解釈するか?
④ 意味の枯渇(=存在意義の揺らぎ)
FIREで自由を得ても、「自分は何者か」、「なぜこれをしているのか」と存在価値が喪失しているタイプです。
会社で働いていると、そこに自分の居場所であったり役割りがあって、それが「生きる意味」を代替してくれる(会社に依存している)人も少なくありません。
そうしたアイデンティティが無くなることで「どこか物足りなく暇だ」とか「孤独だ」と満たされない状態になります。
やはりFIRE後は、自分が「楽しい」とか「知りたい」など、自分基準で考え、自分の価値観と日々の過ごし方を一致させることが重要です。
⑤ 構造の枯渇(=時間とリズムの喪失)
FIREで自由を得ても、その時間の使い方やリズムが散漫になっているタイプです。
その結果、「FIREしても予定もなく暇だ」とか「FIRE後は生活が乱れた」と感じるのです。
仕事の枠組み(予定・期限・報酬)に無意識に依存しコントールされた人ほど、そうした生活の秩序が失われます。
アーリーリタイア生活では同世代は仕事をしていて柔軟に会ったりが難しいゆえ、やはり自分の「ひとり時間」をうまく過ごすことも大事です。
僕の場合、ネットで調べごとをするだけでも創造的な時間になっていると痛感します。
FIRE後の1日の過ごし方~ネットで10時間も何を調べているか
終わりに
「FIREで時間を持て余して暇だ」という問題は、具体的には「関心・関係・成長・意味・構造」という5つのジャンルに発生する欠乏が要因だと考えています。
FIRE後に大切なのは、「時間をどう埋めるか」というより、欠乏を引き起こすの原因の特定と対処です。
つまりは、「FIREは暇だ」というのは、「時間の多さ」や「(対処療法的な)時間の埋め方」という技術的な問題ではなく、自分のなかにある「欠乏の発生」に本質的に対応するといった「向き合い方」だと感じています。

