今日は、以下の記事を読んで感じたことについて綴ります。
【株で何億円も儲けたら】三流は「散財する」、二流は「仕事を辞める」、では一流の人はどうする?
この記事では、癌に罹患し余命宣告を受けながら投資家・麻酔科医として生きる男性(ターちゃん)の生き方が紹介されています。
働きながら50万円を50億円に増やし、愛娘へ向けた投資哲学を著書にまとめた人物です。
過去には「日本一」と自負するボルダリングジムを開業し、経営を社員に任せた後は、麻酔科医として再び精力的に働くようになりました。
半年間のFIRE生活を経験した結果、社会とのつながりこそが自身の「生きる活力」だと気づいたと語っています。
「一流」「二流」で語れる話なのか?
まず感じたのは、この記事のタイトルとターちゃんの物語が噛み合っていない点です。
余命宣告と麻酔科に戻った(FIRE卒業)のタイミングの時系列は不明ですが、いずれにしても、限られた今の時間を医療現場での「社会とのつながり」に費やしています。
そこで、「散財する人=3流、仕事を辞める人=2流・・ターちゃんの事例(自分の幸せを発見すること)を1流」と記者は言いたいのかもしれませんが、どうも腑に落ちません。
実際、彼自身はこう語っています。
フリーランスの麻酔科医として依頼される仕事が増えた結果だけれど、そうやって誰かに求められる社会との結びつきというのは、半年だけ体験したFIRE(経済的自立と早期退職)の自由気ままな生活にはなかったものであり、純粋に生きる活力になった。
これは、「今、何をして生きたいのか」を真剣に問い直し、医療現場に戻ったターちゃんの決断をランキング形式の枠で捉えることは雑ですし、そこでの「純粋に生きる活力」を形容するにはランキングは品位を欠いて相応しくないと思えるからです。
価値観は人の数だけある
仮に大きなお金を得て、さらに余命が限られていると知ったとき、どう生きるかの選択肢は人それぞれでしょう。
・専門性を活かして社会貢献する
・愛する家族と静かに過ごす
・思い出をつくる
・やりたかったことに没頭する
どれを選んでも、それはその人にとっての正解で、こうした「人生観」という極めて個人的な価値基準に対して、「一流とはこうあるべき」という型にはめてしまう視点は、どうしても違和感が残ります。
終わりに
資産を築いた人がどう生きるべきか・・そこに正解はありませんし、外側の「格付け」によって評価されるものでもないと思います。
FIREをした僕は記事内では 「二流=仕事を辞める」に分類されます。ですが、仕事を辞める選択は、他の選択を取った結果で、自分の意思で生き方の選択したことを、いちいち他人が「1流、2流」と評価されるのも解せません。
ターちゃんの物語は更に純粋ゆえ、「1・2・3流」という基準で語るのは視点がずれている気がして残念です。
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