上司やお世話になった人に早期リタイアを伝えると、さまざまな反応がありました。
基本的にはポジティブでしたが、ある上司からは間接的に「辞めたらもう成長は止まる」といった助言をもらいました。
悪気のある言葉ではなく、「せっかく一緒にやってきたのにもったいない」という温かい気持ちからの一言だったと思います。
当時の僕は、「そうかもしれない。でも、何か違う」と感じながらも、その「違い」をうまく言語化できませんでした。
今日は、FIREから4年が経ったいまの経験をもとに、その忠告への静かな反論を綴ってみます。
会社の「成長」は組織内の評価軸
会社員時代に言われる「成長」というのは、組織の中で成果を出し、他者から評価されることです。
それは、「組織が求める価値観にどれだけ適応できるか」という力でもあります。
立派な成長ですが「会社という限定された社会」で通用する尺度にすぎません。
さらに言えば、「社会に揉まれて成長する」とは言いますが、それは新入社員からある程度(30代半ば)までに終了するものです。
人間としての基本的な成長(自分の欲を制御したり、多様性を認めたり、感情を制御したり)は、その段階で形成されると思うからです。
それ以降のステージの成長は、「成果を演出する力」という技術力であったり、「組織で上手に立ち回る」といった対人力が求められますが、それは必ずしも人としての成長というものでもありません。
FIRE後に始まった異なる「成長」
FIREをして会社を離れると、外部からの評価が一切なくなります。
誰も「よくやった」とも「まだ足りない」とも言ってくれません。
その代わり、自分の好奇心や関心が自然と主導権を握るようになります。
サラリーマンの頃の僕といえば、ビジネスや政治経済に関心を持っていました。それは、会社の成果や評価に結びつきやすいジャンルゆえの興味にすぎません。
いまはそんな偏りを是正するかのように、FIREの自由時間を使って、文化・歴史・自然・食など、まったくジャンルの枠を持たない探究をどんどん広げています。
こうした探究や知識の積み重ねは、会社でいう評価軸では対象外のものでしたが、生きていくうえでは人としての教養につながる大事な要素です。
なので、FIREによって成長の「舞台」が変わっただけで、止まったわけでは無いと思うのです。
成長の方向性の違い(結論)
「FIREすると成長しない」と言う人は、会社という枠組みを前提にしています。
そんな枠組みからみれば、FIRE後の僕は「一切、成長しない人」に映るでしょう。
でも実際は自分の興味関心に沿って広いジャンルで知識や経験を蓄積しています。
どちらが上でも下でもなく、それはただステージが変わり、成長の方向性が変化しただけです。
それゆえ会社という枠組みで成長が止まっていることは、喜ばしく、正しい状態です。
それを「正しい」と認識できてはじめてメンタル的にも「サラリーマン完全卒業」なわけで、元上司には「会社の土俵は降りても、別の土俵で精進中です」と、FIRE4年後のいま、胸をはって言えます。

