FIRE後の生活は「下り坂」だと思っていました。
仕事という重荷を降ろし、あとは惰性で下っていく、楽だけれど刺激は減っていくフェーズです。
実際、多くの人がFIREをそう捉えていると思います。
ですが、FIREしてから約4年が経ったいま「下り坂どころか上り坂だ」という感覚を持っています。
今日は、なぜFIRE生活が「上り坂」かを綴ります。
なぜFIREは「下り坂」だと思われがちなのか
一般にFIREは、働く責任や競争、評価の世界から降りる行為です。
年収や肩書、成果といった外部基準の山を登り切り、あとは下るだけというイメージです。
この意味では、FIREは確かに下り坂です。
他人が決めたルールの山から降りる、という点では間違っていません。
僕が登り始めていた「別の山」
しかしFIRE後、僕が向き合い始めたのは、まったく別の山でした。
やはりFIREは時間の余裕があるのか、
・自由とは何か
・お金とどう向き合うか
・残り人生をどう生きたいか
・自分に大切なことは何か
・時間をどう使うべきか
・人との関係や距離感はどうあるべきか
・・
など、尽きないテーマ(かつ、サラリーマン時代には深く考えなかった)を追いかけています。
当ブログで言語化しながら、考え、試し、また考える・・という日々を送ってきました。
その結果、自分の内側に向かう上り坂だと感じるのでしょう。
上り坂だと感じる理由① 正解がない
会社員時代の上り坂には明確な正解がありました。
努力の方向性、目標の達成基準、評価方法・・全て枠組みが決まっていたのです。
一方、FIRE後の上り坂には正解がありません。
比較対象もなければ進んでいる実感も得にくいものです。
この難易度こそ「登っている感覚」を生んでいると思います。
上り坂だと感じる理由② 使う筋肉が変わった
サラリーマン時代に使っていたのは、
-
忍耐
-
適応
-
効率化
-
他人軸の判断
という筋肉でした。
でもFIRE後に鍛えられたのは、
-
自己決定
-
内省
-
言語化
-
自分軸の判断
といった別の筋肉です。
使う筋肉が変わると「登り」に感じるのだと思います。
上り坂だと感じる理由③獲得から統合へ
そして最大の理由はここです。
サラリーマン時代の登山は、
-
何かを獲得するための上り坂(お金、地位、安心)
FIRE後の登山は、
-
自分を統合するための上り坂(価値観、意味付け、一貫性)
統合は、獲得よりも高度でエネルギーを使います。
だから、登っている感覚が戻ってきたのだと思います。
終わりに
FIREは、他人が用意した山を下りる行為で始まりましたが、でもその先で、今度は自分で新たな山を登り始めました。
山の路面コンディションも気象条件も全く異なる山を登っているようではありますが、なぜか苦しさはありません。
今登る山には「自由」とかという空気や「選択肢」や「自己決定」という木の実を食べれるので、エネルギーを補充しながら楽しくハイキングする感覚です。
山頂に何があるのかは、どこが山頂かはわかりませんが、ただ、気持ちよく登ることができているハイキングコースにて、「FIREをして良かった」と感じています。
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