いまの時代にもし僕がFIREを目指していたとしたら、何に最も苦戦するだろうか?・・そんな仮説を立てて、改めて考えてみました。
もちろん、生活費や物価の上昇は確かに気になります。
ただ、僕の場合、生活コストはある程度コントロールができます。
光熱費が上がっても使い方を工夫すれば抑えられるし、食料品の値上げも、買い方や自炊の工夫である程度吸収できます。
つまり、「努力で対処できる部分」はそれほど致命的な足かせにはならないという感覚があります。
今日は、そんな視点から「もし今のインフレ下でFIREを目指していたら、僕が一番苦戦していたもの」について綴ります。
コントロールできない支出という現実
まず最初に浮かぶのは、養育費や教育費のような「自分では調整できない支出」です。
僕は子どもが2人おり、離婚をしています。もし今、大学授業料や生活費がかかる時期であれば、物価上昇が元妻の家計を直撃していたでしょう。
その結果、「養育費を増額してほしい」と言われていたかもしれません。
当然ながら、子どもに関する費用は節約の対象にしにくいものです。
現在の大学授業料の一部無償化などの優遇制度も、子どもが3人以上の世帯が対象で、僕のケースには当てはまらないはずです。
そのため、自分でコントロールできる生活費の上昇よりも、この負担のほうがずっと重く感じていたと思います。
養育費(=教育費)は「支出を減らす」という選択をすれば、直接的に子どもの将来に影響してしまいます。
FIREを目指すにあたってもここはどうしても「手を抜けない領域」です。
コントロールできないけれど、納得できる支出
とはいえ、ここにはもう一つ大事な側面があります。
それは、「納得して払える支出かどうか」という視点です。
教育費は、子どもへの「投資」のようなものであり、自分の消費とは性質が異なります。
節約できないという意味では確かに足かせですが、心理的には「後悔のない出費」として受け入れやすいと思います。
だからこそ、仮に養育費の増額を求められても、授業料や生活物価の上昇分に見合う範囲であれば、僕は納得して応じていたと思います。
FIREにおける「精神的な納得感」の重み
FIREを目指すうえでの節約や支出コントロールは、「好き・嫌い」や「得手・不得手」といった感覚よりも、「支出にどれだけ納得できるか」が大きな意味を持つと思います。
今のように、コントロールしづらい要素が増える時代には、単に数字の大小だけでなく、「納得して払う出費」か「仕方なく払う出費」かを見分けることが、心の安定に直結します。
生活費の上昇は知識や工夫、最後は根性で対応できるとしても、子どもに関するような「工夫では減らせない支出」は、より精神的な柔軟さが求められる領域なのだと思います。
終わりに
もし今の僕がFIREを目指していたら・・最大の足かせは「お金そのものの増減」ではなく、自分でコントロールできない支出にどう折り合いをつけるかだと思います。
インフレ時代にFIREを目指すうえでは、「節約の技術」もさることながら「納得のマネジメント」も重要になってくるのだと言えます。
僕にとっては「子ども」がその象徴でしたが、人によっては「ペットの食事はランクを落としたくない」、「趣味の旅行だけは削れない」、「推しのライブには全国どこでも行きたい」など、納得の軸はさまざまです。
インフレ下の今こそ、何を削り、何を残すか。
そんな「お金との心理的な付き合い方」を磨くチャンスなのかもしれません。

