最近、「資産1億円を築いたものの、築古の木造アパートで家賃7万円の生活を続けていた男性」の記事を読み、違和感を覚えました。
20代から投資と節約を徹底し、40代で1億円を達成。しかし猛暑の日に外出先で倒れ、救急隊から「連絡できる人はいますか?」と問われた瞬間、自分には頼れる存在がいないと痛感したといいます。
貯める力では卓越した成果を出していた一方で、「使うこと」が極端に弱いと自認し、その反省が転機になったそうです。
この記事で僕が引っかかったのは、そこから導かれた 「FIREを否定し、孤独を避けるためだけに仕事を続ける」 という結論です。
今日は、この違和感をもとに、僕なりの視点を綴ります。
全体の違和感
主人公は都内で働く会社員の高瀬さん(43歳・仮名)。
物欲が薄く、節約生活での手残りを20代半ばからの積立投資に投入。資産は1億を突破しながらも、住んでいるのは築37年の木造アパートで、6畳のリビングとキッチンの1DK、家賃7万円です。
記事に出てくるいくつかの言葉は、そのズレを象徴しています。
資産1億円・富裕層突入の43歳会社員。「一生困らない資産」を持ちながら築37年「家賃7万円」木造アパートで暮らし続けるワケ
①「仕事=生存証明」の構造
記事では、倒れた後に男性がこう語っています。
「仕事をしなくなったら、それこそ『部屋で孤独死、誰にも見つからず1週間』なんてあり得るじゃないですか。あの事件で、稼ぐためではなく生存証明のために仕事を続けようと決めました」
仕事を続ける目的が「生存証明」となることは否定しませんが、そんな会社員である期間は有限で、60代〜70代になれば必ずその接点は途切れます。
短期的には安心でも、長期的には問題の本質を何も解決していません。
そもそも孤独や孤立を避けたいのであれば、仕事以外の人間関係を育てるほうが重要です。
この男性は資産が潤沢なので、仕事にブレーキをかけてセミリタイアで公私の人間関係を広げるほうがメリットがあるのではと、個人的には思います。
② 蓄財行動が「不安の逃避先」 だった可能性
記事ではこう述べられています。
「気づけば、資産づくりしかしてこなかったように思えて」
この言葉から、蓄財が不安の代替行動になっていたように思えます。
お金で不安はある程度は埋められますが、その代償として、
・人間関係
・生活の豊かさ
・健康
といった長期の土台が崩れたり、後回しになりがちです。
特に、今回の出来事で「健康」が大きな懸念となったのなら、43歳という年齢でも、仕事で無理をせずに健康を重視する姿勢でセミリタイアすることも良い人生転換ではと感じます。
③ 引越しで生活は改善しても、構造問題は残ったまま
倒れた後、彼はこう行動します。
「家賃7万円から13万円に上げて、同じ駅のマンションに引越しました」
生活の快適さは重要ですし、2倍近い家賃で得られる生活上のQoLは上がると思います。
お金の使い方として悪くは無いと思うのですが、本質は「1億円を何に投じて、自分を取り巻く全体環境を変えていくか」という全体像をどうするかです。
例えば、その家賃差分の6万円を学校や習い事に投資するほうが、この方の本質的な不安解決につながる気もします。
生活レベルは上げたら下げられないので、そうした判断がどうだったのか疑問が残ります。
④ 「寄付を考える」というリスク
「もし資産が余ったら寄付をしたい」
独身なので、親族等に相続することがなければ残った資産は国庫行きです。それゆえ寄付に前向きな姿勢であるというご本人の主張は理解します。
ただ、「老齢になってお金が余ったから寄付」という単純ストーリでもないと思っています。
残金を寄付に回すというのは、ある種、「自分の生きた証」になりうると思っています。
生前中にコミュニティ活動に関わり、その価値を理解し寄付先を選ぶからこそ、自分のお金が 「応援」 として活かされる感覚を得られると思います。
単に余剰資産の出口として寄付を選んでも、本人の最終的な充足感につながるのかが疑問です。
終わりに
この記事の結論は「FIREを否定し、孤独を避けるために仕事を続ける」ですが、これは短期的な解決策であっても根本解決ではないように思えます。
健康に不安があるなら働き続けるほうがリスクですし、会社は老後まで生存証明を引き受けてくれません。
目先の安心より、長期視点で「どんなつながりの中で生きるのか」を考えて、自分の時間もお金も投じることが必要ですし、それが見えたら、セミリタイアという解が正解になるとも感じます。ご本人はFIRE否定派のようですが・・・。
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