先日、こんなメッセージを読者の方からいただきました。
「私は”静かな退職”の被害者です。最低限の仕事しかしない同僚がいて、その方の業務が『時間内に終わらないから』と、上司は私にその仕事の一部を引き取るよう指示しました。同僚の“静かな退職”のしわ寄せを受け不満です。WATARUさんが理不尽な“静かな退職”を肯定されるのはなぜですか?」
このご意見は、先日の僕の記事に対する感想としていただいたものです。
今回、ご本人(仮にA子さん)の許可を得て、「静かな退職(Quiet Quitting)」の本来の意味と、日本で生じやすい定義のズレを綴ります。
「迷惑だ」と感じるのは自然~でも問題の本質は?
まずなによりお伝えしたいのは、A子さんの不満はまったくもって自然で正当です。
自分は責任感を持って働いているのに、隣の同僚は「必要最低限しかやらない」。その結果、他人の業務が自分に回ってくる・・は、明らかに不公平で怒りたくなるのは当然です。
ただ、問題の本質は個人(その方)にあるのではなく、組織構造やマネジメントにあるのです。
仕事の範囲や責任を明示せず、偏った負担を放置するのはマネジメントの問題です。「できる人がやればいい」という暗黙の了解がまかり通るのは風土の問題です。
これは、制度や組織運営の欠陥ゆえ管理層に働きかけるべき課題と考えています。
その理由を少し紐解きたいと思います。
Quiet Quittingは「職務通りに働くこと」
「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉は、アメリカで広まった概念で、与えられた職務(Job Description)の範囲内で働く(=職務以上に無理して働かない)を意味します。
そして、JOB制の進んだ組織では、職務は明確に定義されています。
例えば、営業職の職務(Job Descritpion)として以下があったとします。
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月50件の顧客訪問
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月20件の提案活動
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月5件の契約獲得
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CRM入力と月次報告
この職務をきちんとこなす営業担当者は「求められる最低限の職務を果たしている」という状態です。
なので、「月5件の契約獲得」を成果として出せば良いので、ある能力の高い営業担当者は月10件の契約獲得ができても、あえて上を目指さず月5件の契約だけに留める・・が「静かな退職」です。
決して仕事の手を抜いて「月1件の契約獲得」をもって「静かな退職」と言うのは筋違いです。職務を満たせない場合、アメリカでは解雇の理由にもなり「本当の退職」となってしまいます。
A子さんの職場も、まさにこうした職務定義が曖昧な中で運営されていて、職務が曖昧ゆえサボった者が得をするし、そんなサボる理由を「静かな退職」と正当化し、それがまかり通るのはマネジメントの問題です。
そもそも、“最低限の職務”を個々が勝手に判断し属人的に運営される組織風土も問題です。
本来は報酬と役割をセットで設計すべき
ただし、求められることだけに応える「静かな退職」がすべて正しいのかというと、僕はそう考えていません。
すべての社員が「言われたことしかしない」働き方になれば、組織の活力や変化対応力は確実に低下します。
だからこそ、本来は「どこまでが職務なのか」を明確に定義し、その期待値を超えたらプラス評価でボーナスに反映したり等、評価と報酬がセットで設計されることが必要です。
たとえば、100件/日が求められるデータ入力業務で、ある社員が50件しか入力しなければ、それに応じてマイナス評価となり、給与も少なくなるのが自然です。
逆に、職務以上に貢献している社員は報われるべきで、そこに公平性や透明性がなければ、組織のモチベーションは持続しません。
終わりに
A子さんのご不満には、僕も深く共感します。
きっと、スキルが高く責任感もある方だからこそ、「他人の仕事まで任される」状況になっているのだと思います。
しかし本質的は、職務が曖昧なまま運営されている組織の問題であって、その不満を「さぼり社員」に向けても解決にはつながらないと僕は考えています。
社員に「やる気」や「自己犠牲」を強いる組織運営はおかしいのです。
なの、実は、A子さんご自身も「静かな退職」を選ぶ権利があると思います。
職務を全うしているA子さんが、「職務を超えて求められることを拒否する」という権利はありますし、それこそが「静かな退職」です。
それゆえ、A子さんご自身が「静かな退職」をしても良いと思っています。
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