僕のFIRE生活は、子育ても終わり、仕事も一区切りついた50代という比較的遅めのタイミングから始まりました。
つまり、それまで長くサラリーマン生活を送っていた分、FIREで得た「自由」にはひとつだけ欠けているものがありました。
それは、サラリーマン時代には当たり前だった「日常の変化」が、FIRE生活では意識しないと感じられなくなる、という点です。
今日は、そんな「変化の喪失」がFIRE生活にもたらす影響と、僕がどう向き合っているかを綴ってみます。
仕事がくれていた“変化”がなくなる
会社員時代には、毎日のように小さな変化がありました。
予定外の会議、思わぬトラブル、急な業務変更・・。ポジティブなものもネガティブなものも含めて、職場という場は「平穏無事に済まない日常」が前提にありました。
もちろん、当時はそれらを「面倒」と感じることも多かったです。でも今思えば、それは心の筋肉を自然と動かす機会だったのかもしれません。
緊張感やストレス、達成感や嬉しさ・・そうした感情の起伏が、日々を刺激的にしてくれていました。
ところがFIRE後の生活では、そうした外的な変化がほとんどありません。穏やかで、安定感があり、理想的といえば理想的ですが、一方でどこかマンネリ感がにじんでくるのも事実です。
「移動」が感情を取り戻す装置になる
こうした変化の少ないFIRE生活に、自然と変化をもたらしてくれたのが「移動」でした。
ここで言う移動とは、単なる観光旅行を意味しているわけではありません。
2〜3日のちょっとした旅でも、自分の身を異なる環境に置くことで、心が動き、五感が目覚めていくのを実感するのです。
移動によって、自分の感情の反応がよく見えるようになります。
例えば、「この土地の空気、好きだな」とか「この道、歩きにくいな」とか。小さなことでも、リアルな感情の揺れを引き起こしてくれます。
「思考が変わる→行動が変わる」とは言いますが、FIRE後は熾烈な環境に身を置かない分、なかなか思考を自分で変えるきっかけもありませ。
なので、「(移動で)環境が変わる → 感情が分かる → 行動が変わる」というプロセスこそが、人生を前に進める力になっています。
移動をすると、自分が置かれる環境が変わり、様々な「好き・嫌い」とか「心地良い・心地悪い」とか、感情の起伏が出るからです。
環境変化の事例
例えば、バンコクに旅行して、街のなかの歩道がデコボコで歩きにくかったり、雨が降ると水たまりができていたり、「めんどくさー」と思います。
一方で、帰国して東京の舗装された歩道を歩くと、あらためて「なんて快適なんだろう」と、日本のインフラのありがたさに気づきます。
こうした感覚は、動画やSNSを見ているだけでは得られない、生身の感情です。
また、地方に出かけて田園風景を見れば「懐かしいなあ」と感じたり、歴史的な建物を見れば「静かな威厳」を感じたり、寺社の雨上がりの匂いに「ほっとする」自分がいたり、旅先では、心の深いところにある感性が自然と浮かび上がってくる気がします。
FIRE生活で、家に閉じこもっていたり、YOUTUBEを見ていても、五感として感じることもない「リアルな感情の変化」を旅先の環境が引き起こします。
移動がもたらす「自由の再設計」
FIRE前は、仕事や家庭の都合で移動できる時間はかなり限られていました。
今も、高齢の母を支える立場として、長期間の旅行は難しいです。それでも短期かつ高頻度な小さな旅であれば、自分の生活に大きな負荷をかけることなく、十分に移動の恩恵を得られています。
そして、ここが大事な点ですが、「移動=観光」ではありません。
移動とは、自分の“感性を引き出す装置”だと僕は捉えています。
心地よい体験だけでなく、「あれ? ここはちょっと苦手だな」といったネガティブな感情も、むしろ自分の内面を知るきっかけになります。
だからこそ、僕は移動(旅行)を贅沢費というより「生活の質を上げる投資」として扱っています。
終わりに
FIRE後の生活には、自由があります。
でも、その自由を本当の意味で味わい尽くすには、「感情が動く仕組み」を自分の手で用意する必要があると感じます。
僕にとってのその手段が、「移動(旅行)」でした。
仕事がくれていた“変化”がなくなったあと、自ら意識的に環境を変えることで、感情を呼び覚ますことができます。
移動は僕にとって「変化を持ち込む手段」であり、FIREで得た自由の唯一の欠陥(変化のなさ)を埋める解決策でもあります。
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