最近、「FIRE後に社会とのつながりを求めて再び働き始めた」という、人生再発見ストーリーの記事を目にしました。
40代で早期退職し、1億円を超える資産を築いた男性が、SNSでかつての同僚の活躍を知り、「自分も誰かの役に立ちたい」と居酒屋でアルバイトを始めたという内容です。
一見すると温かい物語のようですが、読み進めるうちにどうにも現実味を感じられず、違和感が残りました。
今日は、このFIRE卒業に関する現実感について綴ります。
記事の概要
主人公は、資産1億円を作り、20年以上勤め上げたIT企業をFIREした田中誠さん(仮名:48歳)です。
当初、平日に近所のカフェで心ゆくまで読書をしたり、誰もいない海辺までドライブに出かけたり、天気の良い日を選んで登山するなど、自由を楽しんでいました。
ですが半年を過ぎることには、「誰からも必要とされていない」、「社会から切り離されてしまった」と孤独を感じだします。
SNSでかつての同僚たちが活躍している姿が目に入り、時間を持て余している自分は焦りと虚しさが募ったそうです。
ふらりと立ち寄った居酒屋が活気に満ちた空間で、田中さんは自分が失っていたものを見出し、時給1,580円のアルバイトを始めました。
会社員時代のように数値に追われるようなことはなく、学生時代に戻ったみたいで毎日が楽しいと、人との関わりや感謝を得られる日々に満足しているというストーリです。
う、うそだろ…〈貯蓄1億円〉超えでFIRE達成の48歳男性。半年後、「時給1,580円の居酒屋バイト」を始めた理由
同僚の活躍をSNSで知る違和感
こうした典型的な「FIREが退屈→仕事に戻る」という復帰ストーリですが、どうも違和感があります。
最初に引っかかったのは「同僚の活躍をSNSで知った」という設定です。
現実には、コンプライアンスの観点からも企業の内部プロジェクトの情報がSNSで出回ることなど非現実的です。
企業も、IT部門やマーケティング部門(ブランド管理)など、自社の企業名でのツイートや記事投稿など「マーケットの声」の収集を兼ねてモニタリングしているので、社員による実名投稿であれば野放しにはしません。
仮に、匿名でSNSに仕事の様子を記載しているとしても、そもそも同僚にその匿名SNSを知らせたり共有することも現実的ではありません。
この時点で、「読者の感情を動かすために設計されたストーリー」という印象を強く受けました。
「人の役に立ちたい」の裏にある承認欲求
もう一つの疑問は、「なぜ居酒屋で働くのか」という点です。
同僚の活躍に刺激を受けたなら、自身の経験やスキルを活かせる仕事に挑むのが自然な流れです。
それを選ばずに、時給1,580円の居酒屋アルバイトを選んだ理由には説得力を欠きます。
もちろん、居酒屋の仕事を否定するつもりはありません。
ただ、居酒屋の仕事も機嫌の良いお客さんばかりでもありませんし、会社やプライベートのストレスxお酒の勢いで、店員に絡んできたり等のカスハラ遭遇率も高い職場です。
そこが「社会とのつながり」や「承認」を求める「居場所」になるのか?
つながりや承認を求めるだけなら、その資産を使って、居酒屋の常連客としてお金を落として繋がりを得つつ、店員や店長に感謝されても良いわけです。
通常は、困っている人を救済するボランティア活動のほうが、直接的に人の役にもたち、困っている人からの感謝も大きいはずではと思ってしまいます。
創作記事の匂いが・・
「FIRE後の生活が退屈だ」と感じ、仕事に戻る人は確かにいます。
ですが今回の記事のように50歳近い男性が「1億円の資産」を持ちながら「時給1,580円のバイト」を取ると、対比させる構成に、作為的な印象が拭えません。
むしろこれは、「お金があっても社会とのつながりがなければ幸せになれない」というテーマを極端に脚色した教訓型の創作記事に思えます。
社会とのつながりも「質」があるからです。
終わりに
なお、僕の個人的感覚から、不可解な点がもう1つあります。
実際のFIRE生活はもっと地に足がついたものだからです。
サラリーマン生活と違ってFIRE生活では「自分が納得できる日常をどう築くか」が自然なテーマになります。
いくら退屈だからといっても、他者の承認や感謝を求める方向に動くより、どちらかといえば、「誰かに認めてもらわなくてもいい」といった方向に広がるものです。
それこそがFIREの真の自由で健全な精神だと、僕は肯定的に感じています。
どうもこの記事からは「労働こそ美徳、社会とつながる唯一の手段」というアンチFIREの意図を感じてしまいます。
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