定時で帰る。余計なタスクは引き受けない。出世にもこだわらない・・そんな「静かな退職(Quiet Quitting)」という働き方が、いま注目を集めています。
最近読んだある記事では、「静かな退職を選んだ若手社員の末路」として、市場価値の低下・AIによる業務の喪失・キャリア崩壊という3つのシナリオが提示されていました。
今日はこの記事の視点を紹介しつつ、僕自身が考える静かな退職のリスクを綴ります。
記事の指摘(キャリア視点)は限定問題
その記事は、
「静かな退職(Quiet Quitting)」とは、米国のティックトッカーが広めた概念だ。退職はしないが、必要最低限の仕事だけをこなす働き方のこと。今、この働き方が日本でも広まりつつある。
としたうえで、その「静かな退職」の先に待つ3つのシナリオ(リスク)として、
①市場価値の低下(転職市場での評価は低く条件の良い会社への転職は困難)、
②業務や能力の低下(リストラ候補に挙げられたり学習習慣を失う)、
③キャリア崩壊(非正規雇用や単純労働しか選択肢がない)
を挙げています。
「静かな退職」を選ぶ若者に、どんな未来が待っているのか? 3つの“最悪なシナリオ”
この3つのシナリオは、「仕事」という軸で考えればそうなのかもしれません。
もし職場が「成果を出し続けて成長すること」を前提としていたら、成長の停滞や受動的な態度というのはリスクとして跳ね返ってくると思います。
ただ、この観点は「キャリアだけ」に閉じてしまっていることに疑問を感じます。
静かな退職は“働き方”の選択であって、“生き方”の放棄ではない
「静かな退職」というのは職場内における「頑張り方のスタンス」の選択にすぎません。
会社から求められる成果を淡々と出し続け、過剰に自己犠牲を払わないという静かな退職は、合理的な選択だといえます。
もちろん、その選択で、意欲低下やスキル停滞といったリスクが生まれるのかもしれませんが、でもそれは空いた時間やエネルギーを「どこに注ぐか」で変わるはずです。
むしろ、職場の外に自分の豊かな活動があれば、「静かな退職」は「仕事をしながらも自分の時間を確保して人生を最適化する」という有効な手段となります。
本当のリスクは、会社に依存しすぎることであって、静かな退職が直ちにリスクというわけでもないと感じます。
静かな退職で問われる「4つの土台資産」
ということで、仮に静かな退職を選択したあと、そこで得られた時間やエネルギーをどこに振り向けるか?
個人的には「4つの資産」に投資することが大事だと思っています。
①アイデンティティ資産
会社の看板や肩書に依存しない、「自分は何者か」という自己理解の土台。ブログ発信、創作活動、ライフワークへの没頭など、自分なりの居場所や役割を持つことは、仕事以外でアイデンティティを確立する上でとても重要です。
自分なりの「存在価値」であり「居場所」というアイデンティティを社外に求めることです。
②人間関係資産
会社という枠を越えてつながる、安心できる人間関係。家族、友人、地域や趣味のコミュニティなど、利害を超えた関係性は、仕事の変化に関係なく人生の土台になります。
会社でのつながりは、利害が絡んだ限定的なものだったりするので、リタイア後に多くは自然と断捨離されます。
③感性資産
日々の中で感動し、心が動く感性を磨くこと。映画、音楽、旅、自然とのふれあいなど、小さな喜びを感じ取る力は、幸福度の根幹にあります。
④キャリア資産(=自分のペースで育てる学び)
副業や資格取得に限らず、知的好奇心や興味ある学びを継続する習慣。静かな退職で得た余白の時間を、新たな学びや探求にあてれば、結果的にキャリアの選択肢も広がっていきます。
終わりに
記事のように、「静かな退職はリスクだ」とする論調は、会社という枠組みで生きている人にとっては正しい側面もあると思います。
でも、会社が全てでもありませんし、会社の外にいろいろな人生が広がっています。
「静かに働く」こと自体が悪いというのは、仕事人生という限定された視点でしかなく、大事なのは、その静けさで得た時間とエネルギーを何に使うかです。
アイデンティティ、人間関係、感性、キャリア、の4つに時間を注げば、人生はむしろバランスよく広がると思いますし、なにより「会社に依存することこそ最大のリスク」と認識するほうが重要です。
静かな退職は、「働かない姿勢」なのか「新しい投資の始まり」なのか、その視点を決めるのも自分自身の選択です。
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