最近、「頭のいい人は年金を繰り下げない」という記事を目にすることが増えました。
こうした「損得勘定=頭の良さ」という構造に、僕はどうしても違和感を覚えます。
年金の受け取り方を、単純に「得か損か」で語るのは、人生全体の設計をあまりに矮小化していると感じるからです。
せっかく、お金を生む資産(労働、投資運用、年金)のなかで、年金は唯一の保険的機能(長生きリスクに備える)を持つのに、戦略的に使えていないからです。
今日は年金の受給方法について、僕自身が捉えていることを綴ります。
損得ではなくリスク設計としての年金
ご存じのように、年金は1か月繰り下げるごとに受給額が0.7%増え、年率にすれば8.4%にもなります。
しかも、終身保証付きです。
民間の運用でこれほど安定したリターンを得るのは難しく、僕自身のFIRE後の運用目安は3%前後(かなり安定重視)にしています。
だからこそ、年金は「増やすため」ではなく、「リスクに強い人生設計をつくるため」に戦略的に使う価値があると思っています。
ここでいう「戦略的」とは、利益の最大化ではなく、人生全体の安心を最適化するという意味です。
3つの収入源の「設計思考」
セミリタイア後の主な収入は、①勤労収入、②資産所得、③年金収入です。
僕はFIREをして、勤労収入ゼロで生きる方針なので、②と③で人生を組み立てる必要があります。
その年金は、一般に、70歳受給なら82歳前後が損益分岐点といわれます。
でも僕は、仮にその前に亡くなっても損だとは思いません。
FIREシュミレーションの想定より早く亡くなるので「資産は余る」わけですし、亡くなるときに「もっと年金を多くもらえたのに」と後悔することはないでしょう。
だって召されるゆえ、もはや現金を幾ら残そうがその差分はどうでも良いものですし、その段になってお金の損得とかを考えたりしないと思います。
むしろ、60歳から早く受け取り、後年「年金受給を遅らせておけばもっと受け取れたのに」と決断を心理的に引きずって後悔しながら生きるほうが避けたい事象です。
そもそも、繰り下げには柔軟性もあります。
例えば、70歳まで待つつもりでも、例えば67歳時点で体調や生活状況が変われば、その時点で受給開始に切り替えれば良いのです。
60歳で受給開始してももはや繰り下げをできませんが、65歳を超えて気持ちが変われば、繰り下げ予定より早く受給開始することで調整できるのもリスクヘッジになります。
損得勘定よりも人生最適化
僕は年金を、損得の対象ではなく「長生きリスクを吸収する資産」として位置づけています。
高齢になって投資や資産運用を縮小撤退しても、終身で増額された年金が資産を補う役割を担えます。
増額された年金と不労所得(不動産所得やファンドの取り崩し等)を合算し、「収入>生活費」をしっかり安定的に維持できると思っています。
それによって、僕が介護施設や入院をしていても、生活収支プラスが続くなら、残された家族も「長生きされたら困る」なんて思いもしないでしょう。
人生は何歳まで生きるか予測できませんし、予定通りに終わらないからこそ、リスクに備える仕組みが必要です。
年金は生きている限りどんな状態でも受け取れる「長生きリスクの保険」と位置づけ、損得の行為というより不安をより減らす目的で使いたいと考えています。
終わりに
つまり、人生設計は、僕にとって「損得の最適化」より「人生全体の安心の最適化」です。
安心のために、3つの収入(①労働収入、②資産所得、③年金収入)を使い分け、その役割は、労働=効率、資産所得=年率、年金=保険、で多層化しています。
それにより、経済的合理性も心理的合理性も取り入れ、人生ポートフォリオが安定強化されます。
もちろん、「得した人生を生きたい」も正解で、年金を早く貰い(労働をするより)体験に投資する人生もアリです。僕のように「損得より安定だ」もまた一つの答えです。
「年金」だけを切り取って損得で語り、それを「頭がいい」と描く発想こそ、僕にはナンセンスに思えます。
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