お金を貯める能力と使う能力はまるで違います。
FIRE後、DieWithZeroというか、資産を有意義に使って生きていくよう、「貯める」から「使う」に軸を変えました。
すると現預金を取り崩すことに軽いストレスを感じます。
そのストレスを分解すると不安、未練、恐怖の3つだとわかり、取り除くように取り組んでみました。
やってみると、お金を上手に使う「器量」のような心のキャパが必要でした。
今日は、そんなお金を「貯める」と「使う」で求められる能力の違いと、お金を使うストレス(不安・未練・恐怖)をどう克服したか、実体験より綴ります。
お金を貯める能力は「お金の教養」である
お金を貯めるために必要なのは「お金の教養」という能力です。
お金の教養とは、お金に関する総合的な知識や経験、知恵や忍耐です。
幾ら稼いでもギャンブル気質で使っては元も子もありません。
「投資は怖い」と貯蓄ばかりでも増えませんし、投資詐欺にひっかかっても増えません。
お金の教養は、資産を増やす能力ですが、僕なりに言語化すると、
自分の社会的属性や性格の強みを知り、資本主義ルール内の変数(変化や成長等)を使い、「稼ぎ、貯蓄し、投資し、節税する」という手段で、効率的に資産拡大する「センス」が必要です。
そのセンスを培い、活用する能力が「お金の教養」です。
お金を使う能力とは「お金の器量」である
ところが、資産を使うとなると、そういった「教養」とは違う種類の能力が必要です。
資本主義のルールというより自分自身のルールであったり、資産を効率的に増やす「センス」というよりお金を大切なものに効果的に使う「器量」です。
僕の場合は、アーリーリタイアをしてから1年3か月、ずっと預金を取り崩しています。
毎月の生活費(支出)が収入(資産所得)を上回っているので、月次で赤字です。
資産を使うというより、現預金を取り崩さなくてはいけない状況で「軽いストレス」を感じていました。
ストレスを分解すると、①不安、②未練、③恐怖です。
その、不安・未練・恐怖を解消し、自分の価値あることに使うコミットメントが「器量」だったのです。
それぞれをみていきます。
将来のお金の不安と器量
僕はリタイア前から、かなり緻密にリタイア後の収支シュミレーションをしていました。
きちんと「生涯やっていける」という見通しは立てていました。
それでも片道切符のアーリーリタイアです。
リタイア生活に入ると「このままお金に困らず生活していけるのか?」と一抹の不安はありました。
リタイア後、自分の生活費を把握し、資産残高や、毎月の収入などから、再シュミレーションしました。
シュミレーションで「将来の不透明さ」はかなり取り除けました。
ただ「大丈夫だろう」とは思うもののどこか漠然とした不安は取り除けません。
そこで最後に必要だったのが「器量」でした。
ここでの器量とは「いざとなればお金を稼げばよい」といった「覚悟」です。
資産拡大を諦める未練と器量
そしてその「不安」が減っても、心に未練が残ります。
未練とは、ずっと投資等で資産拡大してきた「増やす喜び」や「資産拡大への挑戦」を断捨離し、「増やすより使う」へギアシフトすることで生まれるものです。
頭ではわかっています。
「リタイアしたのに資産拡大(投資)に時間を使っていては、単なる専業投資家という労働だ」と。
ですが、長年の習慣や価値観を、そういった考えで強制変換というかアップデートさせ、「未練」を「断捨離」で上書きした感じです。
いつまでもメソメソ、「資産増やしてみたい~」なんて望んでも、両方を取ることはできません。
お金と人生のどちらかなら、後者を取ると決断する「器量」が必要でした。
お金を使う恐怖と器量
実際に、不安も解消し、未練も捨て、そしていよいよ「お金を使う」となります。
そこで感じたことが「意味あるものに使わないとせっかくの貯蓄が報われない。」という気持ちです。
それゆえ「何に使うか」と「どういったペースで使うか」を実感するために、実生活で検証しました。
実生活でお金を目一杯使う検証
すると案外、お金を使うのはエネルギーがいるということも実感しました。
その記事がこちらです。
アーリーリタイア後の生活費(2023年1~3月の平均)が驚きの金額に。。それでも支出大歓迎である理由
お金を使う対象
また、何にお金を使うべきかは、自分の人生を振り返ってみました。
これまでにお金を使って良かったもの、悪かったものを棚卸しました。
結論は、自分の感動につながる経験や、リタイアライフをより良いものにするスキル獲得にお金を使うべき、ということです。
その記事がこちらです。
【FIREを使い倒す】FIREで人生ゲームチェンジをしてみた
お金の段階的な使い方と恐怖心
こんな実験をしながら、自分の資産と余命バランスを考えました。
死ぬまでに、段階的に資産を減らしていくことが必要だと、頭で理解しました。
でもそうして計画を立てて実践することは、自分が培った資産というロウソクを燃やしていく灯が弱くなる「死の恐怖」と似たものを感じるようになりました。
お金の拘りというか、お金=生命、のような意味不明な感覚と、お金を使うことで「欲」が止まらなくなるのではという自分自身の恐怖があったのです。
いくら、何にどう使うべきか、道筋がはっきりしていても、理性とは違う次元で「怖い」がありました。
それが解決したきっかけは2つあって、1つは成功欲、金銭欲の塊で毛嫌いをしていた父親の遺産相続を通じ、自分も欲には向き合わずに逃げているのを思い知ったことです。
決意として「自由に正直に生きる」が最高の人生だと受け入れた感じです。
それともう1つが、お金では買えないものを考えるなかで、何よりも大事な「時間・健康・愛情(つながり)」と痛感したことです。
そこに、いま全力でお金も時間も費やすべきだと思うようになりました。
終わりに
人生ってやっぱり長いのだと思います。
前半は「お金を貯める能力」が必要で、後半は「お金を使う能力」が必要となります。
前者には「お金の教養」が、後者には「お金の器量」が必要で、僕自身は手探りで、こうした2つが大事だと見出し、適応し始めている感じです。
ということが気づくきっかけとなったFIREであり経済的自由には感謝です。
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