働いていた頃には決して交わらなかった平日午後の時間帯には、不思議な人間模様が広がっていました。
そんな「平日午後の人間模様」から、アーリーリタイア後は驚きや気づきを得ています。
ということで、会社員時代の僕が想像できなかった「平日午後の(愉快な)裏社会」を少し紹介します。
子供たちの集団が向かう先
午後3時を過ぎると、裏社会を牛耳るのは近所の小学校から高学年の子どもたちです。
「なん~んだ、子供かよ」とは思わないでください。いずれ社会を背負っていく大事な世代ですし、ある種、日本の将来を展望する際の、1つの窓になるわけです。
そんな彼ら子供ギャング軍団は、平日の午後3時頃、5〜6人のグループで賑やかにおしゃべりしながらどこかへ向かっていく姿をあちこちに見かけます。
みんなのカバンには「○○塾」といった名前が印刷されていて、どうやら同じ塾に通う仲良しグループのようです。
会話の内容はゲームやマンガ、しょうもないジョークなど、大人の目には「おまえら、よくそんなことで笑えるな・・」と思うのですが、子どもたちは本当に楽しそうに「ガハハ!」と笑っています。
ふと思い出したのは、僕が子どもだった頃、そんな午後に持っていたのは塾カバンではなくボロボロのスポーツバッグで、中には野球のバットやグローブが入っていました。
みんなで近所の広場に集まり、日が暮れるまで野球に夢中でした。
行き先が塾から広場へと変わっただけで、子どもたちの本質的な楽しさは変わらないのかもしれません。
そんな姿を見ていると、わずかな移動時間でもワイワイと盛り上がる子どもたちのエネルギーに、どこかホッとさせられます。
子供たちの雨への耐性
梅雨時の最近、の雨が降る日でも、今の子どもたちはきちんと傘を差して移動しています。
僕らの子ども時代は、少々の雨なんて気にせず傘をささずに歩いたり、雨の中でドッジボールもしました。
とはいえ時々、「雨にあたると放射能で危ないらしい」なんて噂が子どもの間で広まり、慌てて遊びを切り上げて、家に帰るやいなやお風呂に直行したこともありました。
*終戦直後に降った「黒い雨」(放射性物質を含んだ雨)は、僕が育った昭和40年代後半には、そんな脅威はほとんどなかったはずですが・・。
そんな、雨が降っても、多少危険?でも、遊んでしまうのが当たり前だったのが昭和の子どもたちでした。
危険といえば、晴れの日の方が著しい違いがあると思います。
子供たちの晴れへの耐性
晴れていれば外で安全に遊べるかといえば、僕たちの時代にはそうでもありませんでした。
というのも、「光化学スモッグ」という存在があったからです。
自動車の排気ガスや工場の煙に含まれる有害物質によって起こる大気汚染現象で、1970年代には特に深刻でした。
当時は「ただいま、光化学スモッグ注意報が発令されました。ただちに自宅に戻りましょう…」というアナウンスが街に流れます。
すると、学校の職員室方面もそわそわし、学校も早退となったりします。
アナウンスを聞くと、どこか内心ワクワクし、帰宅となれば喜んで帰ります。そしてこっそり屋外で集まって遊んだりするのです。
一方、現代の子どもたちは、晴れていても塾通いや習い事で屋内へと向かい、屋外で遊ぶ姿はあまり見かけません。
危険な環境なのに外で遊ぶ時代、危険な環境じゃないのに外で遊ばない時代、子供たちにとってどちらが良いのでしょう??
終わりに
時代は変わり、子どもたちの過ごし方も変わってきました。
でも、ふとした平日午後の風景に、子どもたちが楽しそうに笑い合う姿を見ると、どの時代も子どもは子どもだなと思います。
アーリーリタイアしてから見える「平日午後の人間模様」は、ただののんびりした時間ではなく、そんな「変わるもの」と「変わらないもの」を教えてくれる、ちょっとした楽しい学びの場でもあります。
日常のちょっとした変化に気付けて楽しめるのも、波の立たないフラットなアーリーリタイア生活ゆえのメリットだとは思います。
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