僕が経済的自由を達成したのは40代後半です。
その時に得たのは、どう生きていくかを選択する自由です。
「仕事を辞めて世界を旅行する」とか「そこで美しい自然や人の笑顔を撮る」、あるいは「東南アジアに移住する」も考えましたが、結局、「仕事をする」を選択しました。
仕事には戻りましたが「いつ仕事を辞めても構わない」と会社に束縛されない精神状態ではあったので、各段に違いました。
以降、リタイアするタイミングを自然体で待ちながら、「仕事よりセカンドライフに進みたい」と思うときがきたら、それがリタイアだと思っていました。
リタイアのタイミングを感じた時
その後、約8年が経ち、リタイアしようと思うタイミングが来ました。
3つの大きな出来事が重なったのです。
①家庭(子供の養育費の支払い含め)義務を果たし終えたこと。
②仕事をやり切った(いろいろ限界も感じた)こと。
③欧州から日本へ異動となったこと。
つまり、家庭も仕事もやりきったのと、異動という転機がマッチしたからでした。
そこでアーリーリタイヤをする決意をしました。
僕のリタイアは定年を迎えたような完全リタイアで、基本、仕事に戻るつもりはありませんでした。
見方を変えると、そこまでの仕事総量や背負った苦労(?)もそこそこあったので、そろそろ人生トータルでは自由と苦悩を相殺(ゼロサム)に向けて切り替えるタイミングだとも思えました。
家庭の義務
僕は離婚を経験しています。
その離婚から8年間、下の子が大学を卒業するまで毎月欠かさずに養育費を送金していました。当然の務めですが・・。
子供を経済的に支えたり子供からの相談に乗ることは僕の最優先事項でした。
離婚をしたからといって父親の義務を放棄できません。そして何より子供は財産です。
昨年、いよいよ次男が大学を卒業するとなり、リモート卒業式に僕も参加しました。その時「これで親の義務を果たし終えたのだ」と嬉しくも寂しい思いが心から込み上げました。
子供が逞しく成長することは何ごとよりも勝る優先事項で、それをしないで自分の人生の幸せは成り立たないとさえ思っていたので、卒業式で逞しく成長した子供を見たとき「これからは自分も頑張って成長せねば」と気持ちが引き締まりました。
子供も挑戦していくなか、自分もアーリーリタイアをもって新たな道で挑戦しようという気がしました。
仕事のけじめ
仕事は幸運なことに天職でした。
「仕事を辞めて自由を得るより、自分の手掛けた仕事を最後までやって後悔の無いようにしたい」という単純なものですが、その時、「仕事はもうお金のためではない」と思えたのが理由です。
たいそうなことではなく、ゲームの途中でゲームは辞められないといった心境です。
その仕事を欧州でやり終えた50代半ばが仕事のけじめがついた時でした。
自分の能力や成長も限界を感じていましたし、優秀で将来ある人材が会社を担うべきと、老兵は潔く退いたほうが良いとも思います。
会社であと3年働いて仕事上の小さな成果を求めるより、その3年で自分の好きなように自由に生きて新しいことをやったほうが、幸福度は高い、と思えました。
リタイアする決意
こうして、家庭も仕事もけじめがつき、2022年3月の帰国異動でリタイアしたわけですが、やはり人生では先に苦労をしたうえで後半で遊ぶ順番が、自分にはしっくり感じました。
そんな生活や心の変化と、異動というタイミングの宿命で、全く迷いもなくリタイアを決断できました。
独身であることも、意思決定が簡単にできる理由であるかもしれません。
そしていまは沢山の感謝を、社会やお世話になった人に返したいという使命感めいたものも少し出てきています。
終わりに
楽観的で享楽的でふわふわ生きていたところもありますが、大事なことや転機などは徹底して自分と向き合って分析をして物事を検討判断する癖があります。(あ、結婚だけは別でしたが)。
リタイアを決意したタイミングでも、いろいろな方法で分析しました。
「いまリタイアすることで得られることvs失うこと」といったゲインとロスの比較もそうです。
たとえば、
・年老いた親が元気なうちに孝行したい
・ハードな旅行やスポーツなど体力のあるうちにしかできない賞味期限モノをしたい
といったことです。
かなり緻密に書き出したりしていて、こうしたことも今後、記事にします。