今日は、FIRE後の生活で、僕が意図的に「やらなくなったこと」について綴ります。
それは、目標を立てること、細かく予定を組むこと、TODOリストを常に持つことです。
怠けているわけではありません。
これは、自由な時間をどう使うかを考えた末の、かなり意識的な選択でした。
サラリーマン時代、目標は戦略だった
サラリーマン時代は、目標のない日々はありませんでした。
月次・半期・年間目標に加え、資格取得、貯蓄額、キャリア設計まで、常に何かを追っていました。
目標達成度は成績表であり、「上手くいっている」、「前に進んでいる」という実感の源泉でもありました。
目標を置くことで、自分の時間や能力を迷わず一定方向に集中させられる。
それは、組織の求める方向に自分を最適化するうえで、とても合理的な戦略だったと思います。
FIRE直後は、むしろTODOが必要だった
FIRE直後は、TODOリストが欠かせませんでした。
退職後の手続き、社会保険や口座の変更、各種登録の見直しなど、やることが山ほどあったからです。
この時期は、取りこぼしを防ぐためにも管理が必要でした。
ただ、生活が落ち着き、外的な用事が減ってくるにつれ、僕は予定や目標そのものに違和感を持つようになりました。
「自由が大きなFIRE生活だからこそ、規律維持のため目標を持つ」という発想も、本当にそれでよいのか?と疑問を持つようになりました。
「持たないことで生まれる広がり」の仮説
その背景には、ひとつの仮説がありました。
目標を持つことで得られるものより、持たないことで生まれる広がりのほうが大きいのではないか、という仮説です。
目標を具体的に定めると、意識はそこに集中し、一定の行動も生まれます。一方で、それ以外への反応は、どうしても鈍くなりがちです。
体力や気力が少しずつ漸減していく今の人生ステージでは、「選択肢を減らすこと」そのものがリスクになります。
そう考え、僕はあえて「目標を持つ」というフレームを外してみることにしました。
目標を手放して生まれたもの
目標を手放した結果、残ったのは「引っかかった瞬間に、すぐ動く」という習慣でした。
テレビで見た風景に心が動いたら、その場で調べる。
街を歩いていて違和感を覚えたら、誰かに話してみる。
それを「へー」で終わらせない。
この即反応を繰り返すうちに、それこそが「好奇心」と呼ばれるものだったのだと気づきました。
好奇心は、最初から心の中に明確にあるものではありませんし、頭で考えて待っていても育ちもしません。
反応し続けることで、習慣として根づいていくものだと、今は感じています。
終わりに
FIRE生活を充実させるうえで、「好奇心」をどう育てるかはとても重要です。
そのために、僕はサラリーマン的な発想と習慣で続けてきた「具体的すぎる目標や管理」を手放しました。
これは、目標そのものを否定する話ではありません。方向感のようなものは今もあります。
ただ、細かい目標やTODOは、自由への反応を鈍らせてしまうと感じたのです。
目標を持たないことで、日々の生活での反応を研ぎ澄ます。
FIREのインフラ資産である「健康・時間・お金」を生かすには、結局、この反応力=好奇心を育てることが大切なのだと思います。
「何をやるか」より「世界にどう反応できる状態でいるか」をこれからも意識していきます。
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