「資産1億円を偏差値で表すと、どのくらいなのか?」・・そんなことを一度は考えたことがある人もいると思います。
統計的に見れば、資産1億円は日本では上位数%に位置し、偏差値に換算すれば70前後。数字だけを見れば、かなりの高水準です。
この水準に到達した人は、運だけではなく継続的な努力や意思決定を積み重ねた結果にほかならないと思っています。
ただ、FIRE後もその感覚を持ち続けるべきなのか?・・今日はその違和感について綴ります。
FIRE前、資産は「目指すべき偏差値」
FIRE前の資産額は”明確な目標”です。
資産が増えるほど自由に近づいている実感があり、他人との比較も「現在地の確認」として機能します。
これは受験期の大学偏差値とよく似ています。
どの大学を目指すかを決めるために偏差値は重要で、今の自分に何が足りないかを測る合理的な物差しです。
FIRE前における資産偏差値は、まさにこの役割を果たします。
FIRE後、その偏差値は役目を終える
ところが、FIRE達成後も資産偏差値を気にし続ける人がいます。
しかし冷静に考えれば、大学に入学したあと、自分の大学の偏差値を日常的に意識する人はいません。
偏差値は「入るまで」の指標であって、「入った後」の生き方を導くものではないからです。
FIRE後の資産偏差値も同じです。
偏差値は競争目標であって、生活の指針にはなりません。
それにもかかわらず、資産額を偏差値として眺め続け、それを伸ばすこと自体を目的にしてしまうと、本来降りたはずの競争社会に、別の入口から戻ってしまいます。
大学入学後、人の関心は「何点か」ではなく、「何を学び、誰と関わり、どんな経験を積むか」に移ります。
FIRE後も同じで、「どんなリタイア後の人生を設計したいか」に応じて、資産を使う段階に入るはずです。
逆に言えば、「リタイア時点の資産額を偏差値に換算して、誰と競争しているのか?」という違和感が残ります。
競争社会から降りたはずなのに、再び数字の序列に自分を戻す理由は見当たりません。
資産はスコアではなく、燃料になる
もちろん「資産額は意味がない」と言いたいわけではありません。
ただ、使い道と切り離された資産額だけを語ることに、どれほどの意味があるのか、という疑問です。
FIRE後、資産は「どれだけ上か」を示す数字ではなく、「どんな選択をしても大丈夫か」を支える土台になります。
もし資産を偏差値で捉えることに強く拘るなら、それはお金の問題というより、自分の価値をどこに置いているか、自己肯定感や自己効力感の問題なのだと思います。
終わりに
資産1億円を偏差値で表すこと自体は間違いではありません。
実際、その水準をめざし到達する人は、偏差値的に見れば十分に「優秀」です。
ただ、FIRE後もその偏差値に縛られてお金を使えず、自由を味わえないとしたら、それは偏差値教育の弊害であり、生きるうえで本末転倒に思えます。
FIREは、偏差値を上げ続けるゲームを終え、その数字を使って「自分で決めたルールの人生」を始めることだからです。
資産偏差値を気にせず「自由を活用するための燃料だ」という感覚に切り替わったときこそ、競争社会から完全リタイアを果たし、FIREゆえの大きな意味をもたらします。
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