FIRE批判のひとつに「FIREするとボケる」というのがあります。
仕事を辞めることで刺激や社会との接点が薄れ、結果として思考力や判断力が衰えるのではないか、という懸念です。
この批判はどこかもっともらしく聞こえますが、FIRE4年目のいまの僕には、因果関係の置き方に違和感があります。
今日は、「FIREするとボケる」という批判について綴ります。
FIREが「ボケる原因」なのか
まず確認したいのは、「ボケる原因は何か」という点です。
この批判が前提としている構図は、
「仕事を辞める → 刺激が減る → 考えなくなる → ボケる」
というものです。
しかし、ボケる原因となるのは、「仕事を辞めること」そのものよりも「考えない状態が続くこと」の方が問題だと、僕は感じます。
仕事をしていても思考するとは限らない
実際、仕事をしていても、自分で判断や工夫をせず、指示や前例に沿って仕事を進めることはあります。
それゆえ、仕事環境にいても「主体的に考えること」を放棄していれば、思考力は徐々に使わなくなります。
「働いている=思考している」「無職=思考しない」という単純な対応関係ではないと思うのです。
ボケるかどうかを分けるのは「主体性」
FIRE後にボケるかどうかを分けるのは、現役か無職かといったことではなく、主体性の有無だと思います。
自分で考え、選び、試し、修正する。この循環が回っている限り、人の思考は簡単には鈍りません。
逆に、仕事という枠組みにいても「考える習慣」が無かった人は、仕事から離れると、ますます戸惑いや不安が強まることはあり得ます。
それはFIREの問題というより「思考の習慣をどこに置いてきたか」の問題です。
FIREを目指す過程でも頭を使う
FIREを目指す過程でも、長期的な意思決定や自制は必要です。支出を管理し、将来をシミュレーションし、問題を見つけて考え、判断する。
僕自身、FIREを実現するまでのプロセスには、かなり主体的な思考が必要でした。
そんな思考習慣が、仕事を辞めた瞬間になくなるとは考えにくいと思えます。
終わりに
「FIREするとボケる」という批判は、一見するともっともらしく聞こえます。
しかし僕にとっては、仕事をしているかどうかよりも、「主体的に考える習慣を持ちづづけること」が大事だと思えます。そしてFIREを目指す過程そのものが、主体的に考え、判断する連続だともいえます。
そう考えると、「FIREするとボケる」というより、むしろ「FIREを目指すような主体的な思考習慣は、FIRE後にも生きるのではないか」とも思っています。
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