FIREについて語ると、必ず出てくる批判があります。
それが「働く義務や納税の義務を果たしていない!」というものです。
つまり、日本国憲法で定める三大義務(納税・教育・勤労)のうち、FIREは「納税と勤労の2つの義務を放棄している」という主張です。
FIREから4年目のいま、僕はこの批判に強い違和感を覚えています。
結論から言えば、論点がずれていると感じるからです。
納税の義務と勤労の義務は同じではない
まず大前提として、納税の義務と勤労の義務は性質がまったく異なります。
納税は明確な法的義務で、納めなければ違法となり罰則対象です。
一方で、勤労の義務である「働かないこと」そのものに直接的な罰則は存在しません。
憲法上の勤労の義務とは、能力に応じて働き、自立した生活を営む努力をしなさいであって、これは理念的な意味合いが強いものです。
つまり、
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会社員であり続けなさい
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一生働き続けなさい
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常に生産性を上げ続けなさい
といった働き方を国や憲法が強制しているわけではありません。
FIREは「勤労の義務」を放棄しているのか
では、FIREは勤労の義務を放棄しているのでしょうか。
僕は、むしろ逆だと思っています。
FIREとは、長い時間をかけて資産を形成し労働に依存しなくても生活が成り立つ状態を自力で作った結果です。
これは、
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誰かに養ってもらう
-
社会保障に全面的に依存する
といった生き方ではありません。
自分の責任で生活を成立させている以上、勤労の義務の精神(自立して生きること)はすでに果たしていると考える方が自然です。
納税という観点から見たFIRE
納税の観点も外せません。
ただし、「働いていない=納税していない」という図式は成り立ちません。
FIRE後も僕自身は、
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消費税、自動車税等
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資産所得への課税(不動産、配当など)
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譲渡所得への課税(株式や不動産売却等)
といった形で納税は続きます。
労働をやめた瞬間、社会的義務をすべて放棄したかのように語るのはあまりに短絡的です。
そもそも、FIREに至るまでの過程で長年、労働収入や投資収益への納税を行ってきました。
社会保険料の免除や軽減は「制度のタダ乗りだ」という批判もありますが、これも、個人が抜け道を使っているわけではなく、用意された制度を使っただけのものです。(僕自身、所得が超えていて免除はされていませんが・・・)。
「社会的意義」を義務にする危うさ
僕がもう一つ強い違和感を覚えるのは、「働き続けて社会に貢献しなければならない」という価値観を義務のように押し付ける風潮です。
つまり、「若くて働ける状態なのに生産活動(労働)をしない人生は価値がない」というものです。
この発想こそ資本主義やサラリーマン的成功モデルに強く縛られた思考だと感じます。
サラリーマンを辞めて静かに生きること・・も誰もが選べる生き方の1つで、働くことだけが貢献だという発想は偏っています。
終わりに
FIREは三大義務の放棄ではありません。
問題なのは、「一生働き続けること=義務=社会貢献」という思考の罠に陥ることです。
僕がFIRE4年目に辿り着いて結論はこうです。
納税 → 果たす
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自立 → 果たす
-
生き方の価値定義 → 自分で決める(=生き方までは引き渡さない)
そのうえで、時間的・資金的な余力を、寄付や支援、社会との関わりにどう使うかを自分で選ぶ。
これはFIRE擁護でも、反社会的態度でもなく自分なりの国民としての義務の果たし方だと考えています。
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