FIREに対する批判はずっと存在しています。
そのなかでよく言われるのが「FIREは逃げだ」という批判です。
FIREをした人は、好きなことをして時間をすごす(ToDo型)や、合わない仕事から解放された平穏を味わう(制約解放型)に分かれます(比率は人によって違う)。
批判は後者(=仕事からの逃げだ)に向く場合、その原因はFIREへの理解不足というより、FIRE後の生活感覚を実際に体験しないとピンとこない領域があるからだと感じています。
今日はそんな「FIREは逃げだ」という批判について僕自身の感覚(FIREは逃げではなく選択肢だ)という観点から綴ります。
若い頃の僕にも「選択肢」の意味は分からなかった
正直に言えば、若い頃の僕だと「FIREは選択肢を増やす」といわれてもピンと来ないと思います。
当時の僕にとってのそもそも選択肢とは、転職できること、副業できること、起業できること・・つまり「あくまで仕事が前提に行動の幅が広がること」としか捉えられないと思います。
その文脈でFIREを見ると、「何かやりたいことがある人のための制度」あるいは「働きたくない人の逃げ道」という理解になるのも自然だと思います。
それは間違いというより、まだ価値として認識できなかったという方が正確です。
若い世代には見えにくい「価値」がある
若い時期というのは、エネルギーがあり、社会との接点も多く、「何かをしている状態」そのものに意味を感じやすい時期です。
成果、成長、評価、肩書き・・そうした分かりやすい指標の中で生きていると、
・何もしない時間
・静かな日常
・競争のない状態
・静かな孤独
これらは価値どころか、「停滞」や「後退」にすら見えてしまいます。
僕自身も当時は、「時間が余ること」や「心が穏やかな状態」をわざわざ目指そうとは思っていませんし、忙しいこと、スリルがあることが好きでした。
FIRE後に初めて分かった「選択肢」の正体
FIREをしてからの変化は、「選択肢」という言葉の意味の深さを理解しました。
それは、「何かができるようになる」という話ではありません。
・働いてもいい
・働かなくてもいい
・成果を出さなくても生活が壊れない
・常に成長や競争を意識しなくてもいい
どれを選んでも致命傷にならない状態・・がFIRE達成者が言う「選択肢」の実態的な意味だとリアルに感じています。
選択肢とは自由そのものというより、何を選んでもいつでも引き返せる状態(=選択肢)です。
終わりに
FIRE批判のなかでも、「FIREは逃げだ」といった主張の背景には、「働き続けることが正解」というサラリーマン脳の支配や、「仕事で成功することが大事」といった資本主義的物差しが強く存在すると思います。
そんな発想を手放さない限りFIREのメリット(選択肢)はピンとこないものです。
つまりFIREを経験して外側の世界に立たないと選択肢の価値はピンとこない、そんな構造から生まれる批判だとも思います。
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