今日は、「若者のFIRE志向」を否定するホリエモン(堀江貴文氏)の主張について、FIRE4年目の僕の立場から感じた違和感を、少し踏み込んで整理して綴ります。
ホリエモンの主張は刺激的で、部分的には共感できる点もあります。ただ同時に、そこには見過ごしにくい偏りと、危うさも含まれているように感じています。
原文はこちらです。
ホリエモンが明かす「絶対に資産が減らない方法」がド正論すぎて、ぐうの音も出ない
若者FIRE批判に含まれる前提
ホリエモンの発言を丁寧に読むと、彼が問題視しているのは「若いうちからFIREを理想の人生と捉え、仕事から距離を取ろうとする姿勢」です。
実際、彼は次のように述べています。
この文脈から見れば、ホリエモンの射程が「若者」に限定されている点は理解できます。嫌な仕事に耐えてお金を貯めて、いつか自由な、幸せな人生を手に入れたい。そう願っている若者の心の拠り所になっているのが、FIREムーブメントの正体だ。
確かに、社会経験が浅い段階で「仕事は無意味」、「とにかく早く降りたい」と考えるのは、やや短絡的に映る部分もあるでしょう。
「若者はまず仕事に本気で向き合え」は同意
この点に関しては、僕も一定の同意があります。
仕事が合うかどうか、人生の中心に据えたいかどうかは、ある程度、本気で取り組んでみなければ分からないからです。
仕事に十分に向き合うこともなく早々に「仕事はつまらない」と結論づけてしまうのは、確かにもったいないとは思います。
若いうちは、仕事に全力を投じて、その世界の内側まで入り込んでみる価値はあります。
ただし、ここから先が重要です。
問題は「仕事に全力を尽くした後」の欠落
ホリエモンの主張で僕が最も引っかかるのは、仕事に全力を尽くした「その先の選択肢」がほぼ語られていない点です。
彼はこう言います。
人はつまらない仕事をするために生まれてきたのではない。辛くて心身を蝕む労働に耐えるために生まれてきたのでもない。幸せとは、好きで好きでたまらない、やりたい仕事をいつまでもやり続ける!と宣言できる生き方だ。
これは一見、力強く前向きなメッセージに見えますが、仕事至上主義という価値観を、かなり強く押し付けているように思えます。
世の中には、仕事に情熱を見いだせる人がいる一方で、
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仕事は「人生の一部」と割り切りたい人
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別の軸(生活、趣味、人間関係)を中心に生きたい人
も、確実に存在します。
それにもかかわらず、「好きな仕事を一生やり続ける」生き方だけを幸せの完成形として掲げるのは、仕事至上主義への回帰でしかありません。
僕には「仕事に逃げている」ようにも見える
少し厳しい言い方をすれば、僕にはこの主張が「仕事に逃げている」ようにも見えます。
人生の選択を広げる代わりに、
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「仕事が楽しいかどうか」
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「仕事に惚れ込めるかどうか」
という一本の軸に、すべてを回収してしまっているからです。
仕事を続けることは立派ですが、それって数ある選択肢の一つにすぎないと思います。
仕事をやり切った結果、「これは自分の人生の中心ではない」と判断して、労働から距離を取る。その選択まで否定してしまうと、結局、降りる自由のない社会を肯定することになってしまいます。
自由に反する生き方です。
終わりに
仕事かFIREか、という二項対立で語ること自体が、もう時代遅れなのだと思います。
仕事に全力を尽くすフェーズがあってもいいし、そのうえで、別の生き方を選ぶ自由があってもいい。
重要なのは、続ける自由と同じだけ、降りる自由も認められていることだと思います。
FIREとは、そんな人生を自分で選び直す「選択肢」を広げるものだということを、ホリエモンは理解していないのだと思っています。
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