孤独という言葉は一括りにされがちですが、実際には置かれた立場や人生のフェーズによって、その正体は大きく変わります。
僕自身、サラリーマンとして働いていた時期と、FIRE後の生活の両方を経験する中で、「同じ“孤独”という言葉では説明できない違い」を強く実感しています。
今日は、サラリーマン時代とFIRE後で、僕が感じてきた孤独の質の変化について整理してみます。
サラリーマン時代の孤独
サラリーマンの多くは、決して一人で仕事をしているわけではありません。組織があり、役割があり、評価という仕組みの中で働いています。
成果もまた、個人の力だけで生まれるものではなく、周囲の支援や協力の上に成り立っています。
それだけに、自分が思うほどの評価を得られなければ「認められていない」という孤独(=疎外感)を覚えますし、相談相手や協力者が見つからなければ孤独(=孤立感)を抱きます。
一方で、期待通りの評価を得たとしても、それで満たされるとは限りません。
そもそも目標やKPIに納得できないまま働いていると、「これは本当に、自分が大事にしたい価値なのか?」といった孤独(=虚無感)が生まれます。
こうして振り返ると、サラリーマン時代の疎外感・孤立感・虚無感という孤独は、外的な評価基準と自分の内面との折り合いがつかないことから生じていたように思います。
FIRE後の孤独
FIREをすると、環境は一変します。
上司もいなければ、評価制度もありませんし、役割を演じ続ける必要もなくなります。
では孤独が強まったかというと、そうではありませんでした。
むしろ感じたのは、これまで当たり前にあった「承認される・されない」を軸にしたノイズが一気に消えたという感覚です。
誰かの期待を前提に行動する必要がなくなり、評価や立ち位置を意識する場面もなくなりました。
誰かにどう見られるかを前提に行動する必要がなくなり、その代わりに浮かび上がってきたのが、「では、自分は何を基準に生きるのか?」という孤独の要素が入った問いです。
これは寂しさ、疎外感、孤立感、虚無感とも違って、自分の選択を他者の基準で測れなくなることから生まれる孤独です。
だからこそ、自分の基準を持っていれば良い孤独であり、相変わらず他者に基準をゆだねていると喪失感になるのでしょう。
FIRE後の孤独と似ている経営者の孤独
ちなみに世間では「経営者は孤独だ」と言われます。
それは、経営判断を最終的に1人で下さなければならず、理解や承認を前提にしていては意思決定が歪んでしまう構造にあるからです。
つまり、承認があっても、それに寄りかかってはいけない立場だからであり、FIRE後の孤独もこれに近いものだと感じています。
組織や他者に委ねず、すべてを自己決定する。その結果として生まれる孤独は、「理解されない孤独」というより、理解を求める相手そのものがいない状態に近いのかもしれません。
だからこそ、鍵になるのは「自分で自分をどう承認するか」という軸になってきます。
終わりに
不思議なことに、FIRE後の孤独には息苦しさがありません。
サラリーマン時代の孤独は、会社と自分の感覚のズレから生まれます。評価されない苦しさ、評価されても満たされない虚無感・・それは外部基準に人生を委ねるがゆえの質の悪い孤独でした。
一方でFIRE後は、他者や仕組みに支配されず、自分の基準で物事を決めます。
承認も否定もされない代わりに、選択の責任も納得もすべて自分に返ってくる。
だからこそ、自分なりの価値観や判断軸を持っている限り、「FIRE後の孤独は静かで心地よい上質のもの」になります。
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