多くの人は「FIREをすると孤独になる」と思っています。
なぜなら「社会との接点がなくなること」といった外的な環境変化が孤独を生むと考えるからです。
ですが実際は、孤独は、物理的な状況より内的な感覚に左右されて生まれるものだと僕は感じています。
内的感覚ゆえ、FIREで社会接点がなくてもサラリーマンで社会接点の中にいても孤独は感じるし(前回の以下記事)、独身でもパートナーや家族がいても、それは同じです。
今日は、僕自身が、①独身 → ②既婚 → ③独身というステージごと、どう孤独が変化したかを綴りたいと思います。
独身(結婚前)の孤独
当初の独身時代(結婚前)を振り返ると、孤独は「寂しさ」というよりも「未完成」、「未熟」に近い感覚でした。
当時、20代だった僕には、「家庭を持って一人前」といった「結婚を前提とした価値観」が無意識に刷り込まれていました。
そのため、仲間と過ごす時間も多く、日常的に寂しさを感じてはいませんでしたが、どこか「まだ社会的には半人前」という欠損感のようなものを抱えていたのです。
これは「1人でいるから寂しい」という孤独ではなく、どこか未完成で不十分という感覚から生まれる孤立でした。
今振り返ると、それは自分自身の価値観というより、時代や社会が用意した「正解」に自分を当てはめようとしていた結果だったとは思います。なので、今の独身者はこうした感覚は持っていないかもしれません。
家族のなかでの孤独
さて、僕はそうした価値観の延長で、「生涯のパートナー」という感覚のまま結婚生活に入りました。
それゆえ家族の中で感じる孤独はむしろより強いものになるという皮肉となりました。
「人生を共に乗り越える存在だ」という期待があるゆえ「分かり合えて当然」、「一心同体であるべき」といった感覚が前提にあります。
でも実際は、価値観や優先順位が異なったり、子育てに忙しかったりなどで行き違いが生じると、だんだんと「近くにいるのに理解されない」、「理解しようとしても届かない」という虚無感が生まれます。
これは「1人でいる孤独」ではなく、誰かといても理解されない孤独、期待とのズレから生じる孤独というものです。
家族という関係性は簡単に距離を取ることができないため、子どもを含めて責任を引き受けようとするほど、形だけの役割を演じて、自分を追い込む形になりやすいのです。
既婚でパートナーといつも一緒なら孤独は感じない・・なんていうことはありませんでした。
もちろん世の中には仲よい夫婦は沢山いるとは思うので、これは個人的な事情ではあります。
ふたたびの独身生活での孤独
離婚後、再び独身生活に戻ってから感じる孤独は、結婚前の独身時代とはまったく質が異なります。
最大の違いは、「自分が選んだうえで手にした生活」だという点です。
独身生活も既婚生活も体験したうえで、1人で生きることを選んだことから、
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「誰かがいないから寂しい」とも限らない
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「誰かがいても孤独は生まれる」
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それでも1人を選んでいる
という自覚が、孤独の質を大きく変えています。
誰かに分かってもらうことを前提としたものではなく、最初から自分のものとして引き受けているので、そもそも1人時間が寂しいというよりホッとする孤独です。
もちろん、人間関係も自在に選べて、広く浅い知人関係(=刺激や気づきにつながる)もあれば、深く狭い友人関係(=相互理解で落ち着ける)も支えになっています。
終わりに
孤独は、独身や既婚といった枠の問題ではなく、自分で選んだ状態ならプラスの孤独(楽しい1人時間)に感じる内面の問題です。
人との関係の中にいても、「分かってもらえるはず」、「満たされるはず」という期待と現実がズレると、マイナスの孤独(寂しい1人時間)になってしまいます。
冒頭に書いた「FIREをすると(寂しい)孤独になる」というのは誤認で、誰かといることも選べるが、あえて1人時間も選んでいるといった自覚が大事です。
この選択的孤独の有無が、「FIRE→(寂しい)孤独」か「FIRE→(楽しい)孤独」かの分岐点だと思っています。
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