12月といえば、多くの会社員にとってボーナスの季節です。
それゆえ、「ボーナスの無いFIRE民はサラリーマンが羨ましいのでは?」と思われるかもしれませんが、僕にはその感覚がありません。
それどころか、ボーナス商戦で賑やかな街のなかではむしろ、「サラリーマンは大変だ。僕は自由でいられて良かった。」と実感することが多々生じます。
今日は、FIRE4年目の僕が12月という時期に感じることについて綴ります。
ボーナスへの特別な感情が薄かった会社員時代
会社員だった頃、ボーナスはもちろんありがたかったものの、“ご褒美”として楽しむ感覚はありませんでした。
大きな買い物もしない、贅沢をして盛り上がるわけでもない。ただ淡々と投資に回すだけで、僕にとっては「少し多めの給与」という位置づけでした。
そのため、世間が言うような「ボーナス月の高揚感」とは縁がなかったのです。
思い出すのは“忘年会シーズンの消耗”
とはいえ、12月は、FIRE後の今でも特別な感情を呼び起こします。
この時期、都内の繁華街には忘年会帰りのサラリーマンが溢れています。
居酒屋の前で帰れず立ち尽くす人、酔いながらも職場の同僚に気を遣う人・・その光景を見ると、かつての自分を思い出します。
僕にとって12月は、次のような“しがらみ”で消耗する時期でした。
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組織内の空気で参加が半ば強制されること
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本音より関係性を優先して場に合わせる疲れ
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断りにくい同調圧力
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必要性の薄い出費
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気遣いと場の盛り上げに使う精神力
これらが積み重なり、12月が妙に重く感じられていたのです。
だからこそ、FIRE後のいまは「サラリーマンのボーナスが羨ましい」よりも「忘年会に出なくていい自由が本当にありがたい」という思いが圧倒的に強いのです。
終わりに
リタイア生活で送る「12月」は、ボーナスが羨ましいというより、サラリーマンの頃には無かった「行きたくない場に行かなくていい」という選択権を今の自分が持っていることが、何より嬉しいと実感します。
忘年会そのものを否定するつもりはありませんし、楽しめる人にとっては良いイベントです。僕自身も、公式行事としての忘年会が嫌なだけで、有志でやる忘年会は好きでした
ただ、12月の寒空の中「行く・行かないを自分で選べない」というサラリーマン時代の構造そのものが、重い~というストレスの源でした。
今はそのしがらみから完全に自由で、街中で忘年会帰りのサラリーマンを見かけるたびに、
「ああ、あの空気から解放されているんだ」と静かに嬉しくなる・・それが、FIRE後の僕が12月に感じる素直な気持ちです。
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