前回のシリーズ①では、「自分時間(1人で過ごしたい時間)と共通時間(一緒に過ごしたい時間)の理想とする配分が、そもそもカップルや夫婦で違う場合」にズレが発生しやすい構造を取り上げました。
しかし、関係がうまくいかなくなるパターンはその比率だけではありません。
例えば、彼も彼女も「自分時間は7割欲しい、なので3割は一緒に過ごそう」と、その比率はお互いに合致したとします。
それでもその「時間の内容や質」がズレていれば、やはり関係は不安定になります。
今回は、そんな“比率は同じなのにすれ違う2つのパターン”、
「共通時間の過ごし方が合わない」
「相手の自分時間の使い方が受け入れられない」
についてお話しします。
共通時間の“過ごし方”が合わないケース
共通時間の量が同じでも、その時間に何を求めるかが一致していないとズレが生まれます。
例えば、彼も彼女も「共通時間として3割を一緒に過ごしたい」と一致しているのに、彼は「自宅でのんびりしたい」、彼女は「せっかくなので外へ出かけたい」というふうに、“価値のある過ごし方”の定義が異なる場合です。
ここで生じているのは「量ではなく期待の質の違い」です。
同じ時間を共有していても、満足を生むポイントがズレているために摩擦が起きてしまいます。
相手の“自分時間の使い方”が受け入れられないケース
もうひとつのズレは、「自分時間そのもの」に対する価値観が衝突するケースです。
お互いに自分時間と共通時間の比率は同じ7:3で、共に過ごす時間もやりたいことが一致していても、相手がいかに自分時間を過ごすかに対して「それはナシでしょ」という横やりを入れずにいられないケースです。
例えば、彼の趣味が登山だとして、彼から「今度、男女8名で1泊2日の登山に行ってくる」と言われたとき、彼女の中でイライラが生まれる場合です。
頭では「相手の自由」を理解していても、
・どこまで許容するか
・どこから不安や不快になるか
の線引きは、最終的にはそれぞれの「価値観」に依存します。
ここでも、善悪ではなく「相手の時間の過ごし方について、自分が勝手にその意味あいを変換してしまう構造」が原因です。
終わりに
以前の記事(①)と今回の記事(②)では、「時間の過ごし方」というテーマで、自分時間と共通時間の構造的な行き違いを生む3つのケースを紹介しました。
すべてに共通しているのは、時間の使い方という“構造”を通じて浮かび上がる、相手との「価値観の違い」です。
大切なのは、「価値観の違い=相性が悪い=もう無理」と短絡的に結びつけないこと。むしろ、相手の良いところを見る姿勢と、合わない部分を“それでも自分が許容できるか”を冷静に判断する姿勢の両方が欠かせません。
僕自身、若い頃は相手の異なる価値観を変えようとしたこともありましたが、今は「価値観が違うのは当たり前」だと考えています。
そのうえで、相手の価値観で違和感のある部分が「絶対に譲れない。受け入れられない」でなければ、ギャップは埋められると楽観的に捉えています。
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