アーリーリタイア生活は暇だと思われるのか、時々、友人から、恋愛や夫婦関係がうまくいかないという相談を受けます。
そのときの助言は、「時間の過ごし方」という構造で問題の所在を明確にしています。
時間の過ごし方とは、
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自分の時間をどう使いたいか(自分時間)
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相手とどれだけ過ごしたいか(共通時間)
という2つのことで、今日はこの2つの比率の違いにおける相性を綴ります。
時間の過ごし方には「比率の相性」がある
人にはそれぞれ「自分時間」と「共通時間」の理想比率があります。
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一人の時間が8割ほしい
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二人の時間が半分以上ほしい
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一緒にいると充電される
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一人で回復するほうが楽
こうした違いは「何を大事と思うか(=価値観)」に関わるもので、考え方の違いに優劣はありません。
あくまで生活上の優先順位や心理的な回復方法の違いという「構造上の差」です。
この差が大きいとズレが生じやすくなります。
ズレると「付き合っているのに片思い」が起きる
例えば、
彼:自分時間8/共通時間2
彼女:自分時間3/共通時間7
この時点で、関係は“構造として”噛み合っていません。
多くの人は「愛情の量」のせいにしますが、根本はただの 「自分が"価値ある時間”と思える時間配分が不一致している」という、いわば「価値観の問題」です。
典型例:「彼は差し出し、彼女は受け取れない」
その価値観のズレを埋めようとお互いが努力します。
たとえば彼女が「もっと会いたい」と求め、彼が自分時間を8→6に減らして“2を差し出した”とします。
しかし彼女からすると「たった2しかくれない=私は優先されていない」と映るのです。
一方の彼は「自分はこんなに頑張っているのになぜ理解されないのか?」となり、努力と感情がすれ違います。
これは、「努力や犠牲のコストが等価交換にならない」という構造的な行き違いでからのズレです。
このズレは、話し合っても埋まりにくい
なお、それでも冷静に話し合い、彼女が「もっと時間を割いて」と求め、彼が歩み寄ったとします。これを何度も喧嘩しながら繰り返したとします。
すると、配分変化は、当初は「犠牲<愛情」で突き進み、やがて「犠牲=愛情」となり、いずれ「犠牲>愛情」と負担感が愛情を上回ります。
つまり、最後は「(犠牲を払うのに)疲れた」となります。
そこまでに妥協点に収まれば関係がうまくいきますが、構造的なズレが大きいほど補正は困難です。
終わりに
僕自身、離婚や長い独身生活を経て、恋愛相談も多く受けるなか、「関係がすれ違う根本は”構造の不一致”」だと、単純化して捉えています(あれこれ感情を扱いだすと解決の助け舟も大変なので・・)。
大切なのは「相手を変えようとしない」ことです。時間の過ごし方の不一致は、価値観の問題だからです。
それゆえ「まずは受け入れる」が重要です。
受け入れるというのは、我慢せよというわけではありません。相手の歩み寄りの犠牲(コスト)を自分独自の観測装置で測らず、「相手の努力をありのまま見る」という開眼(=受け入れる)です。
とはいえ、男女間の関係は感情が絡むので解決は大変です・・・。
さて次のシリーズは、時間配分は合っていても「同じ時間を過ごしても満足度が違う」という残り2つの行き違いタイプを解説します。
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