FIRE生活を送っていると、時々「仕事が楽しいなら、わざわざFIREする理由はなかったのでは?」と疑問を持たれることがあります。
確かに一理あります。しかし実際には、「楽しいから続ける/嫌だから辞める」という単純な2択では語れない領域があります。
今日は、僕の場合の「仕事を楽しんでいたのになぜFIREしたのか」という理由を3つ綴ります。
理由1:仕事の好き嫌いとは別軸の問題
僕の仕事は、3〜4年単位の長期プロジェクトにコミットするもので、1年だけ働く、週3日だけ働くといった柔軟な働き方は基本的に不可能でした。
途中でやめれば達成感はゼロになり、費やす時間の意味も薄れます。
さらに、55歳の時点、残りの健康寿命が20年とすると、3〜4年を仕事に捧げる「時間比率」のインパクトは軽くありません。
すると「また3~4年のコミットし、同じような達成感を得るのは割にあうのか!?」といった疑問が生まれます。
結果、「残り人生、その時間や資源を仕事以外に振り分けよう」と、長期で全体最適の視点で考え直します。
目先の「仕事が好き=続ける、嫌い=離れる」という短期で部分最適な軸とは少し違ってきます。
理由2:仕事の意味(Why)を転換する
働く意味は一般的に、
①経済的必要性
②社会的役割
③成長・挑戦欲
の3つに分類されます。
僕の場合、40代後半で経済的自立を達成しても「あえて働く」を選びました。
そもそも仕事が嫌では無かったので、「後悔がないように限界までやりきってみよう・・」といった感覚でした。
とはいえ50代半ばとなると仕事面で成長している気はしないし、マンネリや閉塞感も生まれます。「限界がみえた」という気がしました。
すると「仕事だけが人生の全てじゃない」と簡単に気持ちを切り替えられます。
実際、FIRE後は辞めたことを後悔するとは微塵も感じません。結果的に、
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経済的必要 → ゼロ(お金のために働くことはしない)
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社会的役割 → 旅行、探求、大切な人間関係への投資、ブログ発信など
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挑戦欲 → 仕事以外の領域へ完全シフト
といった転換が楽にできたと思います。
仕事の好き嫌いというより、仕事で得ていたものの代替可否という軸です。
これは十分に転換できるものです。
理由3:会社員でいる限り“自分と自由”はない
サラリーマンとなった初日から「会社という構造」に合わせてあえて生きていました。
組織に属するとは、簡単に言えば、
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他者軸の評価に人生が左右される
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組織文化に合わせるために自我を削る
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“サラリーマン的な思考”に無意識に染まる
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生活リズムや判断軸が会社都合で固定される
といったことを甘受しないといけないわけです。
働くことで衣食住や自己実現を満たす以上、好き勝手にはできませんし、とはいえ染まりっぱなしにもなりたくなかったのです。
なので、「セカンドライフはリセットしよう」と割り切って、若いころから仕事をしてきました。
僕のFIREブログでも「サラリーマン脳を捨てる」を意識して行動し、気づいたことはよく記事にしてきました。
そんなFIRE生活はいま「自分の時間を100%、自分の思う通りに判断している」という実感が伴います。
FIREをするか否か、それは仕事の好き嫌いというより、「体にも脳にも悪い(でも社会的刺激は否定しない)サラリーマン生活を甘受し続けるか、あるいは自分と自由を取り戻すか」といった軸でもありました。
終わりに
仕事で自己実現をしている人は、経済的自立をしても仕事を続けることはあるでしょうし、それは尊重されるべきです。
職場環境や仕事内容に意義を見出せずFIREすることも、逃避ではなく合理的な選択です。
僕のように「残り人生の時間配分を最適化したいからFIREする」という判断も、合理的だし長期投資的だと思っています。
実際、「自由、自己回復、貢献や恩返し、異なる挑戦」といった優先順位や賞味期限をFIREで取り入れて(サラリーマンの優先順位と入れ替えた)わけです。
やはり、人生ステージが進むと、「好き/嫌い」という単純2択を超えて、人生をどう再設計したいか(しないと間に合わないか)・・といった軸も出てくる可能性があると、お伝えしたいと思います。
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