FIRE(経済的自立と早期リタイア)には「社会とのつながりがなくなる」という批判がつきまといます。
多くの人にとって仕事は、日常的に人と関わる最大の場であり、「社会=職場」と捉えがちだからです。
しかし、実際にFIRE生活を経験してみると、この批判は少し的外れに感じます。
僕自身、社会とのつながりが薄れたと感じたことは一度もありません。
今日はこの「FIREすると社会とのつながりがなくなるのか」について整理してみます。
社会とのつながりとは何か
社会との関係は、決して「仕事」だけで成立しているものではありません。
経済的には、投資を通じて世界の動きに触れ、社会の変化を日々感じています。
人間関係で言えば、旧職場の仲間とは今でも付き合いもあれば、買い物や旅行先でも人と自然に関わることはあります。
もし会社を辞めた途端に人間関係が消えるとしたら、それは「環境」や「利害」によって一時的に成立していた職場での関係にすぎないと思えます。
FIREをしても、社会との接点は日常の中にいくらでも存在しています。
「つながりの喪失」は、実は「承認の喪失」
では、なぜ「社会とのつながりがなくなる」と感じる人が多いのでしょうか。
その正体は、物理的な断絶ではなく心理的な承認の喪失にあると感じます。
仕事には、給与や肩書だけでなく、「役割を果たしている」、「必要とされている」という承認の機能があります。
その承認がなくなると、たとえ人と関わっていても、心のどこかで「社会とのつながりを失った」と感じてしまうのです。
つまり、社会とのつながりには二つの層があります。
1つは、経済活動や地域参加といった構造的なつながり。
もう一つは、承認や居場所といった心理的なつながりです。
FIRE後に薄れやすいのは後者であり、だからこそ「つながりを失う」という感覚が生まれるのだと思います。
僕にとっての「つながりの再構築」
僕自身、社会とのつながりは、投資や資産運用を通じて社会経済につながっている(関わっている)実感があります。
経済活動そのものも、ひとつの社会参加でもあります。
一方で、心理的なつながりである「承認」や「居場所」については、職場の雑談や会議がなくなっても、特に欠落した気はありません。
僕自身、他者評価によって自分の存在価値を確かめるタイプではなく、自分での納得感がより大きく感じるからです。
利害や肩書きのない人間関係は自然淘汰され、家族や親戚、友人といった「本当に大切な関係」に時間とエネルギーを注ぐほうが仕事での関係より納得感があります。
結果として、社会とのつながりが断たれたという感覚も、再構築に苦労したという感覚もありません。
ただし、もし会社の役割や地位を通じた他者承認で自分を支えていた人にとっては、この問題は簡単ではないのかもしれません。
終わりに
FIREをすると、社会との関わり方が「組織の一員」から「生活者」へと変わります。
仕事を通じて得ていた承認は減りますが、それは「社会との断絶」ではなく、「関係の質を選び直す機会」です。
「社会とのつながりがなくなる」という批判は、そのつながりの構造的な変化や心理的な変化を混同しているに過ぎません。
僕にとっては、「誰と、どんな関係を築き、どんな形で貢献するか」を自由設計できる生き方が、とても楽で爽快です。
「FIREすると社会とのつながりがなくなる」という批判はやはりピンときません。
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