「FIRE(早期リタイア)を目指すのは、仕事からの逃げだ」という意見を耳にすることがあります。
確かに「辞めること」をゴールに掲げると、後ろ向きに見えるかもしれません。
しかし、この批判の背景には、「働くこと」に対する価値観のズレがあります。
今回はその構造を整理します。
労働観の2派閥
FIREをめぐる議論を俯瞰すると、次の2つの立場に分かれます。
A. 生活のための労働派(現実派)
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働く=生活のための手段
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我慢して稼ぐのが当たり前
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「働かずに暮らしたい」は自然な願望
RE(早期リタイア)は“救済”としての意味をもつ
B. 自己実現としての労働派(理想派)
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働く=成長・社会貢献の場
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働かない=空虚、逃げ
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FIRE=仕事の価値を否定しているように見える
REは“否定”としての意味をもつ
つまり、A派にとってのFIREは「希望」、B派にとってのFIREは「違和感」です。
同じ言葉でも、立場が違えば真逆の意味となります。
僕の立場~AからBへ、そしてFIREへ
社会人スタート時の僕は間違いなくA派でした。
生活費のために働くのが当たり前で、特別な使命感もありません。
ただ、大学時代に父がアーリーリタイアしたのを見て、「定年まで勤めるとは限らない」という認識はありました。
このためFI(経済的自立)は、自己防衛の一環で進めていました。
運良く20代後半、仕事に恵まれ、充実感を覚え、任される責任や成長の実感がやりがいに変わりました。
結果として、B派的な感覚もできたことで仕事の苦痛が無くなったのは有難いことです。
とはいっても、いつかは仕事を終える日が来るし、いつまでも仕事に希望を持ち続けられるとも考えていませんでした。
なのでFIは手を抜かずに進めていました。
FIRE批判の本質とは?
FIREを「逃避」とみなす人は、B派(自己実現)の視点から語っていることが多いと思います。しかし、A派(生活のための労働)にとってFIREはむしろ合理的な自己防衛です。
働く意味や価値は、環境やタイミングで変化するので、労働観は固定されていません。僕も、AからBへ変わった後、50代になって自分の能力の限界や閉塞感で「もうやり尽くした(=これ以上は無理)」とREをしました。
そうした体験から、「FIRE=逃げ」と断じるのは、人生のステージや働く動機の変化を無視したきわめて一面的な見方からの批判と感じてしまいます。
終わりに
FIRE批判の根本は、労働観の違いです。
A派にとってFIREは「救い」で、B派にとっては「否定」に見える。その違いを理解せず「逃げ」と決めつけるのは、B派のポジショントークでしかありません。
誰もが自分の立場や価値観を持っていますが、あまりにも声高に「FIREは逃げだ」と主張するB派がいたら、それは自己実現をして肯定感が高いはずなのにどこか不自然です。
本当は自己実現が危ういとか、リタイア(仕事を辞める)に憧れつつも不安があるので「FIREは逃げだ」と、自分に言い聞かせているのではと勘ぐってしまいます。
労働観の構造を理解することは、「FIREは逃避か?」という議論を正しく整理する第一歩だと思います。
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