FIRE後の生活は、基本的に資産所得で暮らしています。
ただ、この資産所得、「ラクをするための仕組み」や「働かないことを正当化する道具」とは考えていません。
似た表現で「不労所得」というものがありますが、これは「何もしなくても楽にお金が入る」というイメージがつきまとうので、僕は資産所得という表現を使うようにしています。
この資産所得は、投資や仕組み作りなど、努力やリスクテイクを伴わずに作れないものですし、その結果、お金に振り回されずに生きるための手段にもなります。
今日は、なぜ僕が「資産所得」という言葉を使い、お金に囚われないことを大事に感じているかを綴ります。
お金中心の価値観への違和感
お金に囚われると良くない人生になるというのは実体験しています。
幼いころから「お金=成功」と考える父を見て育ちました。
50代でアーリーリタイアをして事業を始めた父は、10年を経た頃には事業が行き詰まってしまいました。
それでも自分の成功のために勝算のない事業に資金を注ぎ、金融機関やカード会社からの借り入れも限度額まで使い、更には家族や親戚からも借金をして続けました。
何度も反対をして撤退や休業を提案しましたが、父はまるで聞き入れませんでした。
母や家族よりも自分の成功やお金を優先する姿勢は、とにかく理解もできず納得できませんでした。
その経験があって、父への反発というより、「お金儲けは人生の中心に置く価値はない」という思いが強くなりました。
お金で買えるものへの優先度が低い
また、資産形成をしながら年齢を重ねると、便利さや快適さのための過剰な支出は浪費と思うようになりました。
物質的な満足より精神的な満足(趣味や人間関係等)を重視し、少しずつお金に囚われないという考えも定着してきました。
もちろん、若い頃は趣味や遊びに多く使っていましたが、それもあって「浪費と投資の違い」も理解できるようになっていたと思います。
父の事業失敗も、結局は「お金でつながった関係に生きていた」ことが大きな原因でした。
こうした変化の結果、「お金で人や時間の価値を決める生き方には限界がある」と思うに至ってます。
会社員人生で時間をささげた
FIRE後は、より「お金に縛られたくない」と思うようになりました。
いきなり無から資産を作ることはできないので、資産形成のために、ずっと会社員として自分の時間を捧げてきたわけでもあります。
なので、これまで自分の時間を会社に捧げてきた分、FIRE後はその時間を取り戻す価値が大きいと感じ、お金を得るために時間を拘束されるのはもったいないと感じています。
お金に執着する気持ちも、「時間>お金」となって薄れます。
資産所得で得た自由
こうしてFIRE後は、資産所得を基盤にしつつ「お金に囚われない」をもって生活するようになりました。
僕にとって価値のある生き方は、自由に自分の意思で生きることです。
資産所得があることで、「働く・働かない」「いつ・どこで・誰と・何をする」といった判断を、すべて自分の意思で決められるようになりました。
それゆえ資産所得をもってこの自由を維持することが何より大事で、資産所得は「何もしなくてもお金が入る(=楽な人生を送れる)」という意味でもありません。
なので、「不労所得」という言葉を避けたいと思っています。
終わりに
僕は、お金を否定するつもりも、FIREを美化するつもりもありません。
お金に振り回されず自由に生きるための手段として資産所得は大事ですし、実際、お金があることで「お金を中心に置かない生き方」を支える機能にもなっています。
自分の満足できる日々を送れるのなら、それ以上の資産をあえて求める必要はありませんし、「お金に囚われた生き方」をするのは自然な到達点だと感じています。

