FIRE直後、僕は「働いても良いし、働かなくても良い」という選択肢を圧倒的なメリットと感じていました。
長年「働くことが前提」のサラリーマン生活を続けてきたゆえ、この自由は想像以上に大きな解放感です。
ところがFIRE4年目の今、そのメリットは完全に消えています。
今日は、この不思議な変化について綴ります。
働いても良いし働かなくても良いが「当たり前化」した
FIRE直後は、働かなくていい日々そのものが「ご褒美」のようでした。
しかし4年も経つとそれは単なる日常になります。
やはり価値とは「例外」やら「特別」に宿るもので、「平常」になると人はそこに価値を感じなくなるのかもしれません。
つまり、
「働かなくてもいい自由」も、特別ではなくなった瞬間にメリットとしての威力を失ったというものです。
仕事に戻る選択肢が「実質ゼロ」になった
そんな選択肢の平常化に加え、もう1つ大きい点があります。
それは「働くという選択肢自体が現実的にほぼ消えた」ことです。
FIRE初期の1〜2年は、「働こうと思えば働ける」という「心理的な保険」が存在していました。
その保険があるからこそ、「働かなくてもいい」がメリットとして浮かび上がるのです。
しかし4年も経つと状況は変化します。
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ブランクによる再就職のハードルが大きい
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労働環境や求められるスキルも変化する
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体力・気力の低下
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会社という場で新しい人間関係を築く負担
こうした要因から、いくら労働市場が流動化して労働力不足だとはいっても「働くに戻る」という選択肢は事実上のゼロ化が進んでいきます。
やはり、4年という働かないブランクや加齢は大きな要因です。
自由のメリットが移行しただけ
とはいえ、FIRE後の自由が減ったわけではありません。
むしろ、「働く・働かない」というテーマから別のテーマへと自由が移行しただけです。
いま僕が実感している選択の自由はもっと別の形です。
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いつ、どこで、誰と、何をして過ごすか選択している
いつ起きて、いつ寝るか、体調にそって選択している
- 家で過ごすのか、外で過ごすのか自由に選択している
- 新たな興味に時間と資金を投じるか否か選択している
- 学びたい事、学ばなくて良い事を自由に選択している
- 社会貢献をする、しないの対象を自由に選択している
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つまり、「働く・働かない」はその中のごく一部のテーマであって、選択肢そのものが減っているわけでもありません。
また、FIREを「労働や仕事の人間関係を回避する手段」とする人にとっては、そもそも「働いても良いし、働かなくても良い」という選択に価値を見出しておらず「働きたくないから働かない」という選択1択なわけです。
選択肢は多様で、変化するし、どれをどう持つかも個人の自由なわけです。
終わりに
FIRE直後に感じていた「働いても良いし、働かなくても良い」というメリットは、4年経った今では完全に消えました。
これは「働く=前提」「働かない=例外」というサラリーマン時代の文脈が消えた結果生じた自然な変化だと思っています。
でもこれは自由が消えたのではなく、自由の「テーマ」が変わっただけとも言えます。
こんなテーマ変遷があったからこそ、FIRE最大のメリットは「選択肢を選択できる」にあるという気づきを得ました。
そんな「選択肢の選択は最上級の自由」なのかもしれません。
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