FIREをすると「物欲が減る」という人が多いように見受けられます。
それは、FIREによって給与収入が減るため、その経済的防衛として物欲を抑制するというよりも、僕はより「精神的な構造変化」だと感じます。
今日は、この「FIRE後は物欲が減る」という構造と、そうなる人の傾向について綴ります。
欠乏の構造が消えると、欲の意味が変わる
人間の「欲」は、何かが欠けている感覚・・つまり「欠乏の構造」から生まれます。
仕事が忙しくて「弱ってしまった」と感じたら、「ご褒美としての買い物」や「非日常の旅行」をして自分の疲れを労わります。
あるいは、仕事やその他で「自分は評価されてない(認められていない)」と感じたら、「高価なモノを買う」、「贅沢をする」といった誇示消費で埋めるといった具合です。
ところが、FIREによって時間と心理的な余裕が増えると、この欠乏構造が薄れます。
ストレスや他者評価がない日常によって、「自分の時間をどう使うか」に関心が移るので、たストレスフリーで他者を意識した消費行動が不要になるからです。
つまり、欲がなくなるというより、欲を生み出す仕組みが静かに解体されると感じます。
その結果、心の中に静けさが戻り、不足を満たす必要性すらなくなるのだと言えます。
欲が減る人と、逆に増す人の違い
ですがFIRE後に「自由になった途端、あれこれ欲しくなった」という人もいます。
この差を生むのは、FIREを目指したときの心の向きだと思います。
FIREを「会社に振り回されず、本来の自分らしい時間や生き方を実現する手段」と、意識的あるいは無意識的に捉えていた人は、FIRE生活に入って「まやかしの物欲」が無くなり、残るのは「内面の充実を図る純粋欲」だけに収れんされていきます。
そのため、FIRE後は「物欲・消費欲」が不要になる一方で、自分が求めている「体験」、「探求」、「創造」といった欲が強くなると思います。
一方、FIREを「今の不満や欠乏を埋めるためのゴール」として追っていた人で、また、性格的に、「不満」や「欠乏」を感じやすい人は、会社という敵からFIREで逃がれたとしても、次なる仮想敵が現れて、求める欲の内容は変わらないかもしれません。
それは「社会」や「政治」、あるいは身近な「家族」や「コミュニティ」というものに対する過剰な程の不満レベルとなって現れるというものです。
なので、FIRE的な自由を手にしてもどこか「怒り」であったり「平穏な心を邪魔する不足分子」があって、欲が減らないケースもあるのだと思います。
これはすべて「心の向きが”内に向かうか外のままか”」の差から生まれると思います。
僕の場合~物欲は減り、探求欲が増した
僕自身、もともと物欲はあまり強くありませんでした。
FIRE後はさらにその傾向が強まり「体験欲」や「探求欲」が高まりました。
モノを買うより、自分で作ってみたい(料理)、他人にやってもらうより自分でやる(掃除)、旅行するより「しばらく暮らしてみたい」(体験)、やったことのない世界を知りたい(今は空き家のDIYプロジェクトをしていますが、過去にも多数PJあり)といった欲求につながったと振り返っています。
この変化は「欲がなくなった」わけではなく、「不足を埋めるため所有・消費する」から「自ら関与する」へのシフトだと感じます。
外的な刺激よりも、「自分が何かに関わっている」という実感が価値を感じられるからです。
FIREによって生じた「欲の質的変化」が起こるのだと思います。
終わりに
FIRE後に物欲が減るのは、単なる節約志向ではありません。
ストレスや制約から解放され、「欠乏の構造」が消えることで、そもそも「物欲や消費欲で埋める必要があった空白(欠乏症)」がなくなるからです。
そしてその空白が消えると、人は自然と「何を得るか」よりも「どう関わるか」とか「どう生きるか」に意識が向かうのだと思います。
つまりFIREは、ストレスや不足から生まれる欲がなくなり、自分が本来もっている本当の欲に目覚める状態をもたらすと言えます。
こうした欲を浄化するメリットがFIREにあることは、FIRE後に初めて強く実感しました。
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