アーリーリタイア生活を送るなかで、ふとある疑問が浮かびました。
「もし定年まで働いていたら、今のように“あれもやりたい、これもやりたい”と思っていただろうか?」というものです。
今の僕は、かなりアクティブに毎日を過ごしています。
ただしそれは、定年年齢より若いからとか、FIRE資金があるからといった体力的・経済的な理由ではありません。
結論を言えば、「逸失機会を回収したい」という、どこか投資家的な発想が根底にあるように思うのです。
今日は、この「アーリーリタイア生活における行動力の源泉」について綴ります。
失ったものを「体験」で取り戻す発想
アーリーリタイアを選ぶということは、定年まで働けば得られたはずの収入を自ら手放すという決断です。
一般的には「もったいない」と感じるかもしれません。
でも僕は、その「失ったお金」を再びお金で取り戻したいとは思いませんでした。
むしろ、「時間をどう使って、どんな体験を積み重ねるか」で回収するほうが納得できると思ったのです。
そのため、リタイア後は新しい趣味に挑戦したり、興味のある土地へ出かけたり、まったく未知の分野を学ぶ時間を増やしてきました。
これらは単なる娯楽ではなく、「仕事に費やしてきた時間を別の形で再投資し回収する」という行為に近いと感じます。
僕にとっての回収とは、まさに「体験への投資と回収」なのです。
「何もしない自由」というもう一つの回収
一方で、アーリーリタイア後の最大の喜びを「働かない自由」に見出す人もいます。
早起きの必要もなく、通勤もなく、誰かに評価されることもない。この「何もしない時間」をこそ、長年の労働のご褒美と感じるタイプです。
その価値観もよく理解できます。
働き尽くしたあとの静けさは、確かに深い安らぎを与えるものですし、働いていた職場や環境が耐えがたいものだったら、そこから抜け出せるだけでも回収に値する価値になります。
ただ、僕の場合は少し違います。
何もしないよりも、何かを積み重ねた先に「これをやってよかった」と感じる瞬間を得たいのです。
「充実した疲労感」のような感覚が、僕にとっての幸福なのかもしれません。
行動力の源泉は「得したい」という本能
こうした自分をみると、行動力の根底には「得をしたい」という感覚があると言えます。
それは金銭的な損得ではなく「投資的思考」という癖に近いものです。
定年までの給与収入という経済的な機会損失を、得られた「時間」の使い方で「経済的損失より体験的価値が上回る」と思いたいのです。
なので、新しい趣味も、旅も、学びも、すべてが「人生というポートフォリオを豊かにする投資」という位置づけになります。
この発想が根底にあることで、FIRE後の僕の行動エネルギーが生まれていると思います。
終わりに
アーリーリタイアの本質は、「失ったものを何で埋めるか」を自分で設計できる自由にあります。
働かない時間そのものを価値とする人もいれば、僕のように体験を重ねて「得した感覚を得たい」と求める人もいます。
どちらが正しいかではなく、誰もが自分なりの「お得だった」を獲得しようとしますし、それが僕にとっては「行動力の源」になっています。
FIREを決断するうえでは、こうした「得した感覚」がどこにあって、どのように得られるか、ご自身のスタイルを自己理解することが、FIREを後悔しない大事な要素だと思います。
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