相当の資産を持っていても、お金に執着せず質素に暮らしている幸せな人がいます。
いわゆる「隠れ富裕層」です。
ところが世間は「せっかく資産があるのだからもっと使えばいいのに!」と批判的だったりします。
僕はその視点に違和感を覚えます。
今日は、ある記事で紹介されていた高齢の隠れ富裕層のリアルな感覚について僕の思うところを綴ります。
記事の概要
記事で取り上げられていたのは、東京都郊外のUR団地で一人暮らしをしている西村和子さん(仮名・67歳)です。
月収は年金とパート収入を合わせて約23万円。外から見れば質素ですが、実際には2億円近い預金を持っています。
それでも西村さんは特売日に買い物をし、趣味は園芸や新聞の切り抜き。高級レストランやブランド品とは無縁の生活です。
お金を「使うことで価値を発揮するもの」と考える人にとっては理解しづらい生き方です。
年収280万円・節約生活なのに「預金2億円」…静かに暮らす67歳“団地のおばあちゃん”の正体
お金よりも大切にしてきたこと
西村さんにとって本当に大切なのは「家族」です。
「子どもを大学に行かせるまでが勝負」と考え、夫と協力して生活を切り盛りしてきました。
時代はバブル期で、不動産の売却益にも恵まれましたが、彼女の軸はあくまで「家族を支えること」。お金はそのための道具にすぎません。
老後になっても「ひとりで贅沢してもつまらない」と語り、介護や施設入居のために資産を残すことを優先しています。
彼女の幸福の基盤は、「誰とどう生きるか」や「将来に迷惑をかけない安心感」にあるのです。
僕の母に重なる姿勢
この価値観は、僕の母とも重なります。
母もまた「お金を使わない」タイプで、年金の範囲で暮らし、残りの人生に困らない程度の資産を持っています。
僕が「もっと美味しいものを食べたらいい」と勧めても、「もう存分に旅行もしたし、友達にも恵まれた。思い残すことはない」と笑い、好物は昔から変わらない100円のコッペパンです。
たまに大トロの寿司を買っていくと「おいしい、おいしい」と喜んで食べますが、わずか数貫を食すだけで満足してしまいます。
さらに母は「あなた無職で大変ならお金をあげるからね」と言います。母は僕の資産運用でのやり繰りを知らないので「無職で心配」なのです。
そんな言葉から、お金に執着するどころか、「家族が大事」という幸せの基準を明確に持っていることがわかります。
豊かさを決めるのは「本人の基準」
西村さんや母の姿勢から見えてくるのは、豊かさは資産額や消費額では測れないということです。
高級品を楽しむ人もいれば、日常の小さな喜びに価値を見出す人もいます。
大事なのは自分なりの基準を持ち、それに納得して生きることです。
社会には「お金を使わないと損」という風潮もありますが、これは一つの物差しに過ぎません。
「十分楽しんだから、今は静かに暮らしたい」と考える人にとって、贅沢や浪費はむしろ不自然で心地よくないのです。
終わりに
お金の使い方や生き方に普遍的な正解はありません。
積極的に消費して楽しむ人生もあれば、質素な日常に満足する人生もあります。
記事へのコメントには「そんなに貯めて楽しいのか、馬鹿らしい!」という批判も見られました。
ですが僕には、そうした批判をする人のほうが、人の価値観を理解したり受け入れたりもできず、幸せに暮らす術から最も遠いと思ってしまいます。
ランキングも参加してます。参考になる部分がありましたら、ぜひポチっとしていただけると励みになります。
↓