今朝、テレビでジャーナリストの浜田敬子氏が「高市総理は少しはしゃぎすぎた場面もあった。もう少し堂々としてほしかった」とコメントしていました。
訪日中のトランプ大統領の隣で、高市総理が笑顔を見せたり、拳を上げて応じたりする姿を見ての発言だったようです。
浜田敬子氏、高市総理は「はしゃぎすぎた場面」も…「もうちょっと堂々としてほしかった」
ただ、僕にはその場面が「はしゃぎすぎた」ようには全く見えませんでした。
むしろ、いまの日本が必要としているのはあのような自然体でオープンなリーダーだと感じたのです。
今日は、その発言の中にあった「品格」について考えてみます。
「品格」とは何か~控えめ=品格か?
浜田氏の言葉から「総理たる者は控えめで、落ち着いているべき」という価値観が前提にあると思いました。
ですが、トランプ大統領との初外交の場で必要なのは、相手との関係をどう築くかです。
どうみても「控えめ」で「品格あり」を装う外交なんて意味があるのかと思います。
そもそも高市総理の外交を評価するのはトランプ大統領や米国人であって、日本のコメンテーターが「変だ」という感覚はどうでも良いと思います。
実際、横須賀基地での高市総理の振る舞いは、主催者であるトランプ氏の空気に合わせつつ敬意をもった対応に見えました。
相手を理解しながら対等に関係を築こうとする姿勢に対し、現地でのアメリカ側の反応も悪くないように見受けられました。
古い価値観で変化を阻害する足かせ
更には、浜田氏の発言の中には「女性首相として、もう少し落ち着いて見える方が良いのでは」という発言ニュアンスも感じられました。
それこそが時代錯誤です。
「女性だから控えめであるべき」という価値観をいったいどこまで引きずるのか・・違和感を超えて、日本の政治や社会が変化することを邪魔しているようにしか見えません。
日本が変わるための「表現の転換」
僕は特定の政党、特に自民党を支持しているわけではありません。
それでも、高市総理のように従来の型を破り、新しいやり方で臨もうとする人には、自然と応援したくなる気持ちがあります。
日本は今、多くの分野で転換期にあるように感じます。
サッカーや野球の世界でも、個性と主体性を持った選手たちが世界で活躍しています。
それは、「控えめ」、「無難」といった日本的美徳というより、堂々と、日本人らしい真面目さや礼儀をもって、ストイックに挑戦する姿勢が信頼を得ている時代になっているからです。
外交での「品格」も、相手を尊重しながら、聞くべきことは聞き、言うべきことは明確に伝え、行動で示す姿勢にあると思っています。
終わりに
「はしゃぎすぎ」と評された高市総理の姿は、僕にはむしろ新しい日本の外交スタイルの萌芽のように見えました。
自分の言葉で語り、相手を納得させる姿勢こそ、原稿を棒読みする歴代総理よりもはるかに品格を感じます。
伝統を大切にしながら、世界の中で自然体にふるまうリーダーが増えていくことが、いまの日本にとって大きな「変化」を起こすと期待しています。
そんな変化を否定するようなジャーナリストやオールドメディアの発言は、とても時代錯誤で残念でした。

