先日、「無職は恐ろしい。だから働き続けることが社会とつながる最良の方法だ」という記事を読みました。
筆者はFIRE生活を「やりたいことがなければ地獄」と表現し、結局は「仕事を続けるべきだ」と主張しています。
今日は、この論考に対して僕の見解を綴りたいと思います。
記事の概要
記事の筆者は、会社員を経て無職を経験し、その後は複業にも携わってきた人物です。
自身の体験をもとに「無職の生活は想像以上に長くつらい。本来楽しいはずの遊びも心から楽しめない」と述べています。
そして「働き続けることこそが社会とのつながりであり、生きがいである」と結論づけています。
55歳で無職になった通信会社・元執行役員の男性が断言…「FIRE」は、ただの“地獄”への片道切符
僕の違和感
率直に言えば、この論考には一つの弱点があると感じます。
それは「仕事しか選択肢がない」というように見えるからです。
50代後半や60代で「FIRE生活はつまらない」、「だから働き続ける」、「それが生きがいだ」ということはまだ成立するかもしれません。
ですがいずれ70代や80代になるわけで、その時に元気に働き続けられる保証はありません。
後々、体力や気力を失って仕事を辞めざるを得ないときに全てを失うことは大きな不幸です。
なので今は過度に仕事に依存せず、自由な時間を楽しめる方法を模索することも大事です。
「仕事が生きがいだ」と1本で突っ走るのは、問題を先送りしているように感じてしまいます。
複数の生きがいを持つという考え方
もちろん、僕は「仕事を生きがいにする」こと自体は否定しません。
経済的に自立しながらも「やはり働きたい」と思えるほど好きな仕事に出会えたのなら幸運だと思います。
ですが「FIREは地獄への片道切符だ」と言って一本足打法で仕事に全力を傾けるより、仕事はほどほどに、趣味や学び、地域との関わり、人間関係、1人で楽しめる趣味など、広く生きがいを育てることも欠かせないと思うのです。
なお、筆者は「後悔しない生き方をしたい」と言っています。
投資にポートフォリオが必要なように、人生にもリスク分散として複数の生きがいを育てることが必要で、それがないと、一本足打法の先には「もっと仕事以外にも時間を注げばよかった」と後悔するリスクを感じます。
終わりに
記事が伝えていた「FIRE(無職)の恐ろしさ」や「社会とのつながりの大切さ」は確かに一理あります。
だからといって結論を「FIRE生活は地獄、仕事をするのが最善」となるのは危険な気がします。
仕事を含めた複数の生きがいを持ち「自分が選べる状態」をつくることが何より大事です。
この方は社交的のようなので、仕事を通じて知り合った人から趣味の影響を受けたり、コミュニティーに参加したり、1人で楽しめる趣味も(高齢になるほど)良いと思います。
仕事以外にも興味を広げることが、時間を使う先(選択肢)となり、後悔しない生き方につながると考えています。