先日、ある記事で、元大企業の部長が晩年の後悔を語っていました。
「老後は、いくら経済的なゆとりがあっても、精神的な豊かさには人間関係が必要だ」という良く見る後悔のパターンです。
ただ今回は、人間関係でも「親子関係」についての指摘で思うところがあり、記事にしました。
記事の概要
記事では、現役時代に仕事に没頭した70歳の元部長が、老人ホームに入ってから「もっと家族に感謝され、支え合う関係を築いていれば違った人生だったかもしれない」とヘルパーに後悔を語ったそうです。
特に、老人ホームに入居する際に保証人が必要となり、息子さんにお願いした一件が気になります。
息子さんはすぐには応じず、最終的に「もうこれでこちらの世話はいらないよな。今後はこちらに迷惑はかけないでくれ」と言って見放してサインしてくれたそうです。
人間関係といっても、元会社関係者や友人とも疎遠というのはよくありますが、家族(子供)にも見放された結果、孤独で後悔したという点で印象に残りました。
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家族と友人は違う関係性を持つ
ただ、この記事を読んで強い違和感がありました。
人間関係を大事にするといっても、その方法はさまざまです。
友人は対等、同僚は利害でつながる関係ですが、親子は「支える」とか「感謝」という役割があったこそ育つのだと思っています。
部長という肩書きは社会的には尊敬される立場で社会では人間関係を作る原動力になりますが、家庭内では社会的な肩書より「父親としての存在感」が大事だと思っています。
父親の役割は経済的支えだけではない
そんな家庭内の人間関係ですが、家庭で感謝が育たなかったのは、父が忙しかったからではなく、日々の言葉や接点を通じて信頼を積み重ねられなかったことに原因があるのではと感じました。
父親がお金を稼ぎ家族を支えることだけでも本来とても尊い役割です。
それをしても感謝されないのは、その経済的支えを帳消しにするマイナス面があったのではと思ってしまいます。
また、そこでは母親の役割も大事です。
子どもが最も多く接するのは母親なので、「お父さんが働いてくれるから暮らせるのだよ」ということを十分に子供の伝えていないのではとも思います。
終わりに
父親の役割とは「お金を稼ぐ」だけでなく、それを家族がどう受け止められるかを意識し、接点を積み重ねることです。
多忙でも、食事で一言声をかける、休日に短時間過ごす、母親への感謝を示すなど、小さな行動はできたはずです。離婚後も子供をきにかけたり、晩年だって関係は築けたはずです。
やはり元部長の問題は「人間関係を育てられていない」といった関係性だと捉えていることにあって、本当の問題は、「自分自身が同じ目線で家族と向き合きあって感謝していない」ということに気づいていないことだと思います。
社会で成功したり、お金を稼げば稼ぐほど、「俺はこんなやっているんだ」と甘んじてしまい、大事な気づきができなくなりがちです。
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