街中やメディアで「年金だけでは生活できない」と嘆く声を、年金受給者から耳にすることがあります。
確かに生活費の上昇や将来への不安を考えれば、そうした不満は理解できます。
ですが違和感を覚えるのは、その多くが今の世代や将来の世代よりも、より多く、より早い年齢で年金を受け取れる世代からの指摘だという点です。
今の現役世代より恵まれた土俵から「年金だけで生活できない」と嘆くのは、当事者は切迫した事態かもしれませんが、どうも見通しの甘さや過度な依存心の表れにも見えてしまいます。
今日はこの点について整理してみます。
そもそも「年金だけで暮らせる」と誰が言ったのか
「年金だけで暮らせない」という不満があるということは、果たして、国やメディアが「年金だけで暮らせる」と明言してきたのか?という点が気になります。
厚生労働省の説明でも、年金は「老後生活の基礎を支えるもの」とされており、生活費すべてを賄えるとは書かれていません。
国民年金は月6万円台、厚生年金を含めても平均14〜15万円程度。この額を見れば、年金一本で生活が成り立つはずがないことは誰でも分かるはずです。
今の年金受給者が現役時代(僕の新入社員)の頃は、「定年まで働けば退職金と年金で安泰」という空気もありました。でも、そんなバブル後期ですら「少子高齢化で年金は危うい」という報道があったのも事実です。
そして、新入社員の僕ですら「会社が倒産すれば退職金も貰えない」とか「国の財政が破綻すれば年金も危うい・・」ぐらいは考えていました。
なので、「年金で生活できるはずだった!」と嘆くのは、前提の読み違えか、都合よい報道を鵜呑みにしたケースに思えてしまいます。
会社への依存と同じ構図
僕が強く違和感を覚えるのは、「制度がすべて面倒を見てくれる」という依存心です。
かつての日本企業には「定年まで滅私奉公すれば、会社が老後まで面倒を見てくれる」という空気がありました。しかし終身雇用が揺らいだ昨今、それを信じる人はほとんどいません。
同じことが年金制度にも当てはまります。
国に依存し「生活を保障してくれるはず」と妄信するのはリスクが高いと思うのです。
企業や国に頼るのは良いとしても、頼りっきりで自ら何も対策しないのは、また別の話です。
頼りながらも自助努力をする自立心が大事だと思えます。
「足りない」を前提に設計するのが現実的
そして、年金はむしろ「足りないのが当然」と考えて設計する方が健全です。
例えば老後の生活費を25万円と見積もれば、年金だけでは毎月10万円前後不足します。
その差をどう埋めるかを、現役時代から貯蓄・投資・副収入で備えるのが現実的です。
今は50歳を過ぎれば年金定期便で支給見込み額も分かります。
そうした情報を確認せず「年金で暮らせる」と老後まで妄信し続けるより、「足りないのが普通」と捉えて準備する方が現実的だと思うのです。
終わりに
「年金だけで生活できない!」という愚痴を聞くと、僕はどうしても依存心の表れと感じてしまいます。
制度も会社も個人の人生を保障するわけではありません。
今の高齢者は、僕たちや後続世代よりも恵まれた条件で年金受給されるなかで「足りない」との嘆きには、少し残念な気がします。
もちろん、自助努力(貯蓄や節約)をする高齢世代の方が生活が苦しければ、その時は堂々と生活保護を受ければ良いと思いますし、そうした老人の助けにはなりたいと僕も思います。
でも、対策もせず依存心だけが高い老人が「年金で生活できない!」と言っても、どこか納得できない感覚はあります。
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