現役時代の僕は「お金があれば幸せになれる」と信じていました。
収入を増やすことは社会的評価の象徴で、資産を積み上げることは人生の安定と思っていたからです。
ところがFIREを実践し、経済的な自由をある程度手にしてみると、この価値観は大きく揺らぎました。
確かにお金は自由を広げる力を持っていますが、それだけでは心の充実や幸福を保証することはありません。
FIREを経て初めて気づいたのは、「お金は必要条件であって十分条件ではない」という現実でした。
今日はその理由を整理して綴ります。
理由① お金は比較の材料にしかならない
FIRE前の僕は、資産や収入は自分なりの目標に届けば良いとは思いつつ、やはり他人の収入や資産は気になったりはしました。
お金は数字で測れる分、他人と比べやすいからです。
自分なりの目標に届いていなければ、その不足を埋める努力を重ねたり、お金を増やす工夫をすることは悪いことではありません。
でも、FIRE後、その「比較する癖」が残っていると、せっかくの蓄えを使うことに抵抗が出てきます。
「減るのは不安」、「もっと持っている人がいる」という感覚が頭をよぎり、お金=価値あるもの、が削られる感覚になっていると、何事もお金を使って楽しむことを邪魔してしまいます。
ということで、僕はFIREに「比較の癖」を少しずつ手放すようにしました。
すると「お金があれば幸せだ」という価値観も崩れ「お金は幸せを生む材料にすぎない」となりました。
理由② 自己肯定感がなければお金は支えにならない
お金が増えると一時的に安心感は得られます。
ですがその安心は「外的条件」に依存したものにすぎません。
例えば、株価が下がれば不安になり、収入が途絶えるFIRE生活は不安が出る。つまり土台が自分の内面ではなく、常に変動する「外的要素」に寄りかかっているのです。
実際、FIRE後の僕も「お金があるから大丈夫」と自分に言い聞かせる一方で、心のどこかでは「本当にこれでいいのか?」という不安はありました。
資産の大きさは「持っている自分の価値」を保証してくれるように見えるので、それが崩れることが不安になるからです。
ここで必要になのが自己肯定感です。
自己肯定感はあるがままの自分(良い点も悪い点もあらゆるもの)を受け入れる感覚です。
「お金があってもなくても、自分は価値ある存在だ」と自己肯定感が育つと、資産の大小に関わらず心の平穏も持てて、お金の価値も適切な位置に収まっていきます。
自己肯定感は1つの重要な幸せの支えです。
理由③ お金は幸せの源泉ではなく、器にすぎない
さらに重要だと感じたのは、非地位財の存在です。
FIREをしてから分かったのは、お金自体は幸せの源泉ではなく、それを入れる「器」に過ぎないということです。
どれほど大きな器を持っていても、中に何を注ぐかを考えなければ空虚なままです。
僕の場合は、旅行、趣味、人間関係、親孝行など、小さな挑戦や感謝する気持ちを重要視して行動するようになりました。
お金はそれらを支える道具であり、あくまで補助的な存在です。
結局「何に時間と意識を注ぐか」が幸福を決めていて、お金はその選択肢を広げるための環境づくりにしか過ぎません。
つまり、FIREはお金を持つことというより「お金をどう活かすか」を問うプロセスです。
その問いと向き合わないと、資産があっても満たされなかったり、あるいはむしろ不安に縛られてFIRE後も「お金のために労働する」となる可能性すらあります。
終わりに
FIREを通じて僕は、「お金があれば幸せだ」という単純な方程式が成り立たないことを痛感しました。
比較に振り回されず、自己肯定感を育て、器に何を満たすかを選び続けると、わりと「お金は幸福を支える手段だ」と割り切れ、腑に落ちるものです。
世の中には「お金があれば幸せだ」と信じて疑わない人も(以前の僕もそうでしたが)多いかとは思います。
僕がその思考が完全に取り除けたのはFIRE後だったと言えます。
無理に取り除かなくても、「お金とはその程度のものだ」と頭の片隅に置くだけで現役時代は十分なのかもしれません。
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