先日読んだ記事に「世帯年収1500万円でもカフェに行かず水筒を持参する女性」が紹介されていました。
高収入にもかかわらず「カフェ代を惜しむ姿勢」が“貧乏性”とされ、切実さすら語られていたのが印象的でした。
でも僕はここに違和感を覚えました。収入が大きい人の節約を「貧乏性」と片付けてしまっては、資産形成は進まないからです。
今日はこのテーマについて整理してみます。
記事の概要
記事の女性は「のどが乾いてカフェに行くくらいなら水筒を」と考え、実際にカフェ通いをやめたそうです。
さらに「幼少期の貧しい経験から貧乏性が抜けない」と自己分析していました。
記事の見出しには「世帯年収1500万円でも貧乏性をやめられない理由」と書かれていました。
世帯年収1500万円でも「カフェ行くくらいなら水筒」高収入女性が”貧乏性”をやめられない切実な理由
収入ではなく「資産」で考えることの重要性
僕が指摘したいのは二点あります。
第一に、物事を「収入基準」で考えるのではなく「資産基準」で考えるべきだということです。
収入は一時的なフローに過ぎません。年収1500万円あっても使い切ってしまえば資産は残らないので「これだけ稼いでいるのだから多少使ってもいい」という思考は危険です。
一方、「資産基準」で考えると「その支出が資産の成長に寄与するかどうか」を軸に判断できます。
長期的な安心をもたらすのは収入ではなく積み上がった資産であり、資産が増えれば資産所得でお金が減りにくくなるのです。
この発想の違いが、経済的自由を得られるかどうかを分けるのです。
「貧乏性」と「合理的節約」の違い
第二に、「貧乏性」と「合理的節約」はまったく異なります。
貧乏性とは収入や資産に関係なく「お金を使うことに不安を感じる」心理的なクセです。結果として自分の豊かさや経験の幅を狭めてしまいます。
一方「合理的節約」は、予測や工夫を通じて支出を効率化する行為です。
たとえば僕も外出時には安く買ったミネラルウォーターを持参します。
外食を減らして自宅や公園でのワインピクニックとして良い食材とワインを持っていけば、レストランの3分の1の費用で済み、その分を貯蓄や次の外食での予算上乗せに回せます。
これは「我慢」ではなく「選択の質を高める工夫」です。
合理的節約は資産形成を進めながら、生活満足度をむしろ高めることが可能です。
危険なのは「稼いでいるから使うべき」
記事に感じた危うさは、「高収入なのに節約するのはおかしい」という含意です。
収入を消費に回すのは一見健全でも、それを当然とすれば「収入が減った途端に不安になる」という依存を生みます。
FIREを実現するには収入の多寡にかかわらず「資産を育てる視点」が不可欠です。
終わりに
世帯年収1500万円でも水筒を持参する姿勢を“貧乏性”と評するのは、収入基準で物事を見ているからです。
僕はむしろ資産基準で考えることが大事だと思います。そして合理的節約は豊かさを削ぐどころか、暮らしを広げる工夫になります。
「収入があるからこそ使うんだ!」という浪費思考の人が、FIREに向けて節約することを「貧乏性」と言ったり、FIRE達成したら「ずるい!」と言ったり・・というダブルスタンダードが世の中にあるのも、もとはこの発想から生まれるのだと感じました。
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