最近、バブル期の日常を現在と比較するテレビ番組をよく目にします。
街の活気や消費の勢いを振り返る映像を見ると、確かに「給料が高く、誰もが豊かに暮らしていた」というイメージを抱く人も多いでしょう。
さらに政治番組でも「日本のサラリーマンの平均給与は過去30年横ばいで、世界に大きく遅れを取っている」といったデータが紹介されます。
数字だけを見れば羨ましい時代に映りますが、実際にバブル期に新入社員として働いていた僕からすれば、その裏側には「数字に表れない現実」があることを知っています。
今日は、バブル期の給与の高さの裏に隠れた実態について綴ります。
データだけを見れば「豊か」に見える
統計を振り返れば、当時の平均給与は今よりも高く、可処分所得も多くありました。
消費も旺盛で、ブランド品や海外旅行が一般化していたのも事実です。
数字の断片だけを切り取れば「やはり昔は良かった」と思いたくなるのも自然なことです。
見えにくい実態~長時間労働とサービス残業
しかし、その収入を得るための働き方には厳しい現実がありました。
当時、新入社員だった僕の経験では、残業規制は極めて緩く、長時間労働が当たり前でした。
さらに「残業をつけずに働く」のも常態化していたので、結果として、実際の労働時間に見合う報酬を得ていたとは言い難いのです。
当時の給与は見た目には高給でも、その多くは残業代が込みであるからです。
なので、実質の時給換算にすれば1,000円にも届かず、現代より「得」だったとは言えません。
社会的圧力~仕事後の一杯文化
さらに特徴的だったのが、残業後の「一杯文化」です。
サービス残業をしていることが不憫に思われたのか、上司が気を遣って「仕事あがりに飯でも行こう」と声をかけてくれます。
ありがたい気遣いに見えますが、断れる空気ではなく、むしろ新たな拘束時間の始まりでした。
そして、真夜中0時過ぎに仕事を終え、そこからタクシーで築地の寿司屋へ。ビールや日本酒を飲みながら寿司をつまみ、解散は午前2時です。
タクシー券で帰宅できるのは救いでしたが、眠れるのはわずか4時間ほどで、まさに滅私奉公の延長線上でした。
自由度はまるでない
こうして振り返ると、バブル期の高給は「残業代でお金は増えても、時間と自由を失っていた時代」とも言えます。
それゆえ金銭面だけを切り取って羨むのは危険で、生活全体の豊かさで見れば「果たして誰が望む生活だったのか」と疑問が残ります。
終わりに
以上のように、バブル期の実態を知らずに「給与が高かった=良い時代」と語るのは危ういと思います。
数字を語るときには、時給換算や働き方の背景も合わせて見る必要があります。
サービス残業の見返りが「深夜の寿司屋での奢り」だった時代が、もし今も当たり前なら、退職代行の法人を「ゼッタイムリ」と命名して起業し、ひと稼ぎできるでしょう。
そんな過去をバブル期のテレビ映像を観ながら思い出したので、若い皆さんには是非お伝えしたいと思った次第です。
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