FIREを目標として持つことに対して「けしからん」、「まだ働けるのに甘えるな」と否定的な声が意外と多いものです。
その背景を分析してみると、批判する人は大きく3つのタイプに分類できると思います。
今回は、この3タイプを整理してみます。
① 昔型「定年まで働くのが当たり前」タイプ
1つ目は「昔型」です。
僕自身も部分的にはこの価値観で育った世代ですが、昭和から平成初期にかけての日本社会では、働き方のゴールはほぼ「定年まで勤め上げること」に固定されていました。
この価値観に馴染んだ世代は、ゴールが明確だったため迷いや比較が少なく、同じ方向に進む安心感もありました。
しかし、この価値観を持つ人にとっては、「40代や50代で仕事をやめる」という選択はルール違反であり「逃げ」に見えます。
人生のマイルストーンを共有していた仲間から外れる行為は、不安や違和感を生むので、早期リタイアに抵抗感があったり、「働けるうちは働くのが美徳」という刷り込みでFIREを受け入れづらく感じたりします。
こうした「かつての常識に立脚した声」が、FIRE批判を行う1つの勢力です。
② 「自由設定型だが他者の選択を許せない」タイプ
2つ目は「今風」の価値観です。
今の時代、必ずしも定年まで働き続けることがゴールではなく、「どんな働き方をいつまで続けるか」や「会社以外でも価値を発揮できるか」など、自分に合った目標を設定するのが一般的です。
こうした自由度は魅力的ですが、やっかいなのは、自分の価値観こそ唯一の正解だと信じ、異なるゴール設定を否定してしまう人です。
例えば、「一生働き続けるのがかっこいい」という自分ルールを持っている人は「FIREは逃げだ」と断じます。逆に、「早くリタイアして自由を謳歌するのが正しい」と思う人も、働き続ける選択をした人を「無駄に時間を売っている」と見下すことがあります。
ゴールを自由設定できる時代にあって、他者のゴールに干渉するの皮肉なことです。
こうした「他者に不寛容」というのが2つ目のタイプです。
③ 「暫定的目標を認めない」タイプ
3つ目は「暫定的目標すら認めない」というタイプです。
目標は変化するのが当たり前で、例えばやりたい仕事が見えていない学生が「とりあえず偏差値の高い大学を目指そう」というケースもあります。
高い目標を掲げて努力を続けることに意味もあれば、その努力が実って学歴があれば、やりたいことが見つかった時にチャンスをつかみやすいとも言えます。
それなのに、「目標は最初から最後まで一貫していなければならない」という考え方はやや極端です。
このタイプの人は「どうせ途中でやめるなら最初からやるな」と暫定的なゴール設定を嫌います。なのでFIREは「気まぐれな思いつき」に見え、批判の対象になりやすいのでしょう。
FIREにおいて、まずFI(経済的自立)を目指すことが必要で、そのために資産形成の知識や投資スキルが身につきます。そして長年かけてFIを達成後、そのままRE(早期リタイア)をする人もいれば「やりたいこと」が出てきてFIREという暫定目標から別の目標を抱く人もいます。
そうした暫定目標としてFIREを目指すことはとても合理的なのに、そうした暫定目標を認めない、目標は変化をするとの前提を受け入れない・・という厳格さを持つ人が3つめのタイプです。
終わりに
「FIREを目標にすることはけしからん!」というのは、僕から見るとかなり偏った考え方に思えます。
これは、昔型の固定的なゴール、他者への不寛容、暫定目標すら認めない厳格さ・・から生まれています。
FIREを目標にすることは、まずはFI(経済的自立)を目指すので、結果、人生の選択肢が広がります。
「やはり働きたくない、やりたいことが仕事以外にある」と進む人もいれば、「ストレスのない働き方は心地よい」と働き続ける人もいます。
変化の激しい、そして多様な価値観が認められる世の中にあって、FIREを目標にするのは合理的だと思うのですが、世の中には凝り固まった発想で「FIREはけしからん!」という批判は絶えません。
そういう発想こそ「けしからん」と感じてしまう自分もまだ不寛容なのかもしれませんが・・。
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