リタイア生活を送るうえで、僕は「時間の単位」を意識しています。
サラリーマン時代は「3年周期」です。3か月単位(四半期)で数字を締め3年で結果を出す、配属異動も約3年というのが基本サイクルだからです。
一方、FIRE生活は「自由で拘束のない」という観点では、大学生活と似ているので「4年を1周期」とした時間感覚で大学時代と比較しながら過ごしています。
こうした背景で、「FIRE生活は大学時代に負けない濃い4年間にしたい」とゆるやかな目標を持っているのですが、FIRE4年目も中盤に差し掛かる4年生相当のいま、両者の「濃さ」を比較し課題を整理しました。
大学4年間は未体験の連続だった
振り返れば大学時代は遊んでばかりで特別な「成果」もありません。
ですが毎日がとても濃密だったのは確かです。
振り返っても、「新しいこと」、「興味のあること」、「知らない世界」と次々に体験したのが大きいと思います。
興味の赴くままにアルバイトやサークル活動に没頭し、バックパックを背負って海外の僻地を旅し、進学や就職という大きな選択にも向き合って、高校出たての自分が社会に出るまでの過渡期を過ごしたからです。
それに比べ、FIRE生活は大学生活と「自由さ」では同じですが、その割に、大学時代ほど劇的な変化も濃さも感じてはいません。
そこで各立場での濃さを比較してみました。
成果を追う社会人、変化に満ちた大学生、今を生きるFIRE
社会人時代はまずもって「濃さ」はありませんでした。
多くの時間も神経も「目標」という結果に向け、その過程は集中力と忍耐力であっという間に過ぎます。
もちろん目標達成時の充実感はありますが、それは「瞬間的」ですし、後に「勲章的」と変化すれど、結局、日々の主役は「目標」であって自分自身は「脇役」というの存在だからでしょう。
結果がでるまでの時間経過は「無」に等しい感覚です。
それに比べればFIRE生活は「自分」が主役です。
その点では大学時代とよく似ていて、好奇心に従って、何をするかを自分で決め、自由に動いたと思います。
その過程の全てで自分の判断が介在し、「無」に過ぎることはありません。
「濃さ」は恐れず飛び込む力に宿る
ただ、大学時代と今の生活では、やはり「濃さ」に違いがあります。
大学時代が濃い時間だったのは「どこまでできるか分からないけど、とにかくやってみる」という姿勢の有無が大きいのかもしれません。
なにしろ、失敗なんて考えず、むしろ失敗にすら気づかず、疲れるまで何事もやっていたと思います。
自分の限界すら見えていなかったので、不安よりも好奇心が勝っていて、我武者羅に突き進めた感覚です。
それは言い換えると「恐れない力」かもしれません。
今はといえば、自分の限界を意識したり、リスクを想定したりと、失敗を避けることに長けていています。
人生経験を積んだぶん、恐れもまた成長してしまった気がします。
これが「濃さ」の違いになっている気もします。
終わりに
こうして、FIRE生活4年目の終盤、あらためて時間の「濃さ」を考えています。
心地よさや穏やかさのある今のFIRE生活は悪くはありません。でも、大学時代の4年間の濃さと比べると「どこか足りない」と感じます。
30年の仕事生活で時間が早く過ぎてしまったのもあり、なるべくFIRE生活を通して失った時間や「濃さ」を取り戻したいとは思います。
とはいっても、今更ながら「恐れを持たず飛び込む自分」として濃さを求めるべきか、「もう年なんだから」とマイペースでいくのか・・・この選択できる自由に感謝はしつつも、悩ましく感じているこの頃です。
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