先日、同窓生たちと久しぶりに集まる機会があり、「学歴って本当に有利なのか?」という話題になりました。
念のため補足すると、これは「自分たちの学歴はこうだった」と語る会ではなく、それぞれが社会に出てから、さまざまな学歴・キャリア背景を持つ人たちと働くなかで感じてきたこと、あるいは実体験から得た視点を共有しあう場でした。
中には、僕のようにすでにアーリーリタイアをした人もいれば、役職定年を迎えて企業を一歩引いた立場から見られるようになった人もおり、どこか俯瞰した視点での落ち着いた語り合いでした。
結論は、「学歴がチャンスを広げることは間違いないが、年齢を重ねるにつれ、それが足かせになることもある」という点での共通認識です。
今日は、学歴の価値が年齢とともにどう変化していくかについて、皆の話から浮かび上がった共通点を綴ってみます。
20代:「学歴」はまだ効力を持つが全てではない
就職や配属直後の20代前半、特に入社5年目くらいまでは、たしかに学歴がある種の「ラベル」として機能していたという話になりました。
多くの企業で、新人は「〇〇大学出身の△△さん」といった形で認識され、社内で名前が知られていく際に「出身大学」という情報が添えられることが少なくありません。
それが一種のアイデンティティとして周囲に伝わり、期待値や仕事の扱いに影響していたというのは、異なる業界で働いてきた同窓生の間でも共通した感覚でした。
とはいえ、その影響力は長くは続きません。
30代後半以降:「学歴」が期待値という重荷に変わる
30代後半から40代にかけて、「高学歴であることが逆に評価を下げる要因になってしまう人がいる」という話が出ました。
例えば、「〇〇大学を出ているわりには仕事はイマイチだ」といった、学歴に対する勝手な期待と失望で、その人本来の実力以上に評価が厳しくなるケースです。
過剰な期待値がハードルを引き上げてしまうことで、「割に合わない評価」を受けてしまうことがあるのです。
さらに、ちょっとした遠慮や控えめな態度があっても、「ああ、高学歴だからプライドが高くて現場に出たがらないんだ」といった誤ったレッテルが貼られることもあります。
こうした背景から、「自分の学歴をあえて話題にしない」、「聞かれてもさらっとかわす」といった振る舞いをする人もいると、意見が一致していました。
50代以降:「学歴」は”評価の軸”から“関係性”へ変化
50代以降、出向や役職変更で第一線から距離を置くと、学歴が話題になることはまずなくなります。
代わりに重視されるのは、人間性であったり、キャリアやスキルなど、学歴や肩書では測れない部分です。
一方で、同窓会や趣味の集まりなどビジネス外の場面では、「大学関係者で久しぶりに再会した」といったコミュニティ的な意味合いで学歴が話題に上がります。
学歴は、自然な流れでの話題に限られ、過度にそれをアピールするのは逆効果であったり、「過去にすがっている人」という印象を与えてしまうので気を付けないといけないという指摘も印象的でした。
終わりに
こうして改めて考えると、学歴は一生使える万能の武器ではなく、「時限付きの通行証」のようなものです。
若いうちは確かに学歴でチャンスが広がっても、年齢とともに評価の軸はスキルや経歴へと変わり、学歴が足かせになることすらあるのです。
ただ、高齢になると同窓という共通項が「社会的つながり」として意味を持つことはあります。
なので、学歴に過度に依存するより、そんな肩書きを脱ぎ捨てて人と向き合える柔軟性が大事だとも思えます。
そして、学歴にしてもお金を貯めることにしても、高い目標を置いて達成に拘り過ぎると、達成後もなかなか捨てられない(その価値にすがりがちになる)という真実も考慮しないといけないのだと思います。
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