猛暑のある日、街を歩いていると、思わず「はっ」とする出来事がありました。
小学校低学年と思われる女の子が、目の前で車に轢かれそうになったのです。
その瞬間の出来事は、僕にとって「日常のリスク感度」についてあらためて考えさせられるものでした。
今日はその出来事から、日常のリスク管理について思うところを綴ります。
危うく車に轢かれそう
平日の昼下がり、僕は歩道を歩いていました。
すると、少し先を、母親と離れて歩く小学生低学年と思われる女の子がふらふらと進んでいました。
僕はその女の子を追い越しながら「危なっかしいな~」と感じていました。
最近、この暑さのせいか、子供たちも街中では不規則に動き回ったり駄々をこねる子がいて注意散漫です。また、母親も夏休みの子供の面倒をみる疲れもでていて注意散漫な気がしていたからです。
その女の子の母親はちょうど横断歩道のところで右折をして渡ってしまいました。
僕はとっさに「女の子も道路を横切ってしまうのでは?」と嫌な予感がよぎり後ろを振り向きました。
案の定、女の子は横断歩道ではない場所から道路に出て、そこにカーブから抜けて差し掛かった車が急ブレーキをかけて停まりました。
僕もとっさに女の子のほうに走り出す体勢をとっていたので、無事を確認したときは心底ホッとしました。
リタイアしても消えない直観的なリスク予知
子供も無事で良かったのですが、僕自身、そんなレスキュー行動をとっさに取れて少し驚きました。
別に予知能力があるわけではなく(そんな能力があればもっと楽しい日々になりますが)、これは単に「経験から来る勘」みたいなものです。
そんな直観的なリスク感度が身についているのは、経験値で培われたのかもしれません。
実際、日常でも次のような行動を自然にとっています。
僕の日常的なリスク管理
例えば日々の行動での次のような配慮や考察です。
公共の大型バスやミニバンに乗る時
大型バスに乗る時は運転席から最低でも5つぐらい後ろの座席に座ります。
以前、バスとトラックの正面衝突事故によって運転席から複数の座席の乗客が死傷しました。
なので5つというのは、最悪、衝突しても潰れない安全エリアという観点です。
また、車内で火事が起きてもなるべく早く出られるような出口との距離感も考えています。
さらに、バスに乗ったら「このガラスは割れるか?」とか「隙間のサイズや開く角度から体が通るか?」と、何気に脱出体制も想像していたりします。
工事現場の近くを通るとき
工事現場の近くを通る時も、工具や資材が落ちてこないか、工事機械の倒壊で被害が及ばないかなど、距離や状況に注意します。
以前、工事現場の手前に差し掛かったとき、数メートル先にドライバーが落ちてきたことがありました。
上には工事荷台に乗って作業をしている人がヘラヘラして下をみていて、本当に驚きました。
映画館や劇場、地下道にいるとき
映画館や劇場、あるいは地下道なども、何かが起きると人が出口に押し寄せてパニックになります。
なので、自分の避難経路を何気なく確かめるだけでなく、そうした「人の波」が来た時にどう回避できるかの安全エリアもつい探してしまいます。
高速道路の料金所や車両など
高速道路の料金所の出口でもなるべく「本線の延長戦にあるゲートを避ける」ようにしています。
そのまま止まらずに突っ込んでくる車だって無いとはいえません。
また、最近は外国人ドライバーも多いので「外国人が運転中」などの場合は気を付けます。
海外で運転する時はなおさらで、例えばアメリカでも、任意保険に入っていない車両やドライバーがとても多いのです。
事故に遭遇しても相手側に支払能力が無かったりすることもあるので、とにかくボロくて車の傷やへこみを修理していない場合は、任意保険に入っていない確率が高いと踏んで余計に気を付けています。
日常的で直観的なリスク管理と経験値の相関
僕自身、本来は割と間抜けなこともしますし、賞味期限切れの食材も普通に食べてしまいます。
もともと、警戒心が強い人間でもありませんが、死傷に関する問題にはかなり無意識レベルでも対応している気がします。
世間一般の標準がどの程度の警戒感かはわかりませんが、日常の直感的なリスク管理は経験値から来るのかもしれません。その2つを取り上げます。
仕事
仕事の場合、うまく行くという想定で組み立てることはほとんどありません。
「最悪でもどうにかなる」といった最低最悪レベルを超えないようリスク想定し、準備をしてりしてきました。
なので、長年の仕事経験はこうしたリスク管理の習慣につながっていると思います。
また、国外でも仕事をしていたので、常識ではありえない事態も多々遭遇します。ブログにはとても書けない事態も数多くありました。
なので「そんなことが起きるのが悪い!」とか「運が悪かった」では済まされないゆえ、何かと最悪を想定する経験値が身についたのかもしれません。
海外経験
また、僕自身が高校生の頃に治安が良いとはいえない海外の某都市で生活したことも関係します。
水も安全も保証のない場所です。
それこそキャップのついた水のペットボトルを開ける時も、「中に浮遊物がないか」とか「キャップが一度空いた感触がないか」など気を付けます。
実際、新品のペットボトルのなかにぼうふら(蚊の幼虫)がふわふわ泳いでいたこともあります。
夜道を歩いて腹部に刃物を突き付けられた日も、「強盗が悪い」なんて人のせいにしていても生きていける保証はないと思い、自己責任で防衛しないとダメだと、高校生ながら感じたものです。
こんな経験が良いとは言えませんが、「常識では考えられないリスクを想定する」ということは日常生活であれ投資であれ、自然と考えるようになったとは思います。
終わりに
FIREをすると自由な生活が手に入り、緊張感が薄れてリスク感覚も鈍くなるのではないかと思っていました。
ですが、先日の小学生の女の子の出来事から、自分自身、身を守るリスク管理は無意識レベルで対応することが身についているようだと気が付きました。
とはいえ、飲んだ帰り道、山手線の車内で口を開けて寝てしまう無防備な自分が本当にリスク管理が習慣となっていると言えるのか、そこが疑問ですが・・。
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