北海道福島町で新聞配達員の男性がヒグマに襲われ命を落とした事件は、多くの人に衝撃を与えました。
その後、町がクマの駆除を行ったところ、町外から「クマを殺すな」、「市街地で発砲する判断は正しかったのか」といった苦情が50件以上寄せられたそうです。
過去にも「クマの殺戮だ」といった抗議が寄せられた事例を思い出し、こうした動物愛護的な意見が一定数あるのは理解しつつも、やはり強い違和感を覚えます。
なぜこれほどの違和感を抱くのか・・?今日はその理由を整理してみます。
違和感の正体
僕が感じる違和感の根底には、「自分が嫌なことを他人に押し付けない」という考えがあります。
もし自分や家族がヒグマの脅威にさらされたなら、命を守るために駆除を求めるのは当然のはずです。
それにもかかわらず、安全圏から「クマを殺すな」と声を上げるのは、他人の命や生活を軽んじ、自分の理想を押し付けているように見えます。
普段のニュースでここまで感情が動くことは少ないのに、今回だけ強い反発を覚えたのは、「現実に向き合わない姿勢」への拒否感があったからです。
そして、その拒否反応を生む内容こそ、僕自身が大切にしている価値観(何が正しいか、何が大事か)に触れているからだと思います。
現実に向き合う覚悟とFIRE
この感情は、FIREや資産形成の考え方にも通じます。
投資では「リスクの裏にリターンがある」という現実を受け入れなければなりません。
「リスクは取りたくないが利益は欲しい」という考え方は、今回の抗議と似ています。
現場の犠牲を想像せず理想だけを語るのは、投資の勉強や節約の努力をせず、投資リスクも取らずに成果だけ求める、そんな姿勢と同じです。
FIREもまた、単なる逃避心では成り立ちません。資産形成でリスクを取り、リタイア後も運用リスクを背負う覚悟が必要です。投資で成功したり、FIRE生活を送る人を羨み批判するが、自分では何もしないという姿勢は、現実に向き合っていないと感じてしまうのです。
自分で決めるということ
僕が大切にしているのは、「文句を言うなら同じ覚悟を持つべき」という考えです。
リスクを取らないなら他人の選択にケチをつける資格はなく、任せるなら感謝すべきです。
FIREの実践でも、自分の基準で決め、責任を負うことが出発点です。
誰かの意見に乗るだけ、誰かが言ったからFIREした・・では、資産形成も人生設計も破綻します。
現実を直視し、リスクを理解した上で決断する人だけが、本当の自由を手にできると信じています。
終わりに
今回のクマ駆除への抗議に抱いた違和感は、単なる「賛否」ではなく、現実を無視した理想論の押し付けに対する拒否感でした。
この感覚はFIREや投資への姿勢にも共通し、「自分で考え、リスクとリターンを正しく天秤にかけること」の重要性を再認識しました。
感情が揺れるニュースに出会ったとき、なぜそう感じるのかを考えると、新しい自己発見につながり、自分の気持ちも楽になります。
こうした「少し立ち止まって考える習慣」を持つことはおすすめします。
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