FIRE(経済的自立と早期リタイア)生活をする人に対し、働いている人が「働いている方がえらい」といったことを口にすることがあります。
それは冗談混じりのニュアンスであっても、意図として「働いてる方が偉い」、「FIREは甘え」といったニュアンスがにじんでいるものです。
でも、働いている人が偉いという根拠は薄く、主観的な発言が大半です。
今日は、こうした価値観がなぜ根強く残るのか、その背景にある社会心理について冷静に綴ってみたいと思います。
日本社会に根付く“勤労信仰”
まず前提として、日本社会には「働くことは美徳だ」という考え方が深く根付いています。
戦後の復興を支えた世代から受け継がれた「働かざる者食うべからず」という思想は、令和の今でも残っているのでしょう。
仕事に精を出すことが「立派な人間」の条件とされてきたため、労働から離れた人に対してどこか引け目を感じたり、逆に「ずるい」「サボっている」といった否定的な視線が向けられやすいのです。
FIREのように、会社勤めを自ら手放して自由な時間を生きる選択は、こうした「勤労こそ正義」という無意識の前提とぶつかります。
「苦労に意味がある」という共同幻想
多くの人は、仕事をする理由は「生活のため」、「仕方なく」ということが多々あります。
そうすると、苦労や我慢といったことに価値を見出すことで、自分を納得させている人も少なくありません。
だからこそ、自分が苦労しているのに「苦労しない道を選んだ人」が目の前に現れると、心のどこかでモヤっとしてしまうのだと思います。
FIREを否定する声の多くは、「自分も本当はそちらに行きたかったけれど行けなかった」という、自己肯定のための防衛反応のような面があるかもしれません。
労働=社会参加という見方
さらに「仕事=社会との接点」と捉えている人にとって、FIREは「社会から離脱した存在」に映ります。
「働いていないのに、社会に貢献していないのに、自由に暮らしているなんておかしい」と思う人も一定数いるのは事実です。
でも実際には、FIRE生活にも社会との関わり方はありますし、家族との時間、地域との接点、創作や情報発信など、価値ある活動はたくさんあります。
ただ、「組織で働いていない=遊んでいるだけ」というイメージが、いまだに根強いのも確かです。
「うらやましさ」の裏返し
また、こうしたFIREに対して否定的な言葉の裏には、「本当はうらやましい」という気持ちが隠れていることもあり得ます。
「自由でいいよな」、「好きなことができていいな」といった本音は、実はFIREに対する共感に近い感情なのではないでしょうか。
でもその羨望を素直に認めるのは難しかったり、「自分にはできない」と割り切るために、あえて「働いている方が立派なんだ」と信じたくなる。そのような構造もあるのかもしれません。
終わりに
FIREという選択は、従来の「働き続けるのが当たり前」という価値観に対するひとつのカウンターでもあります。
だからこそ、周囲との間に違和感や葛藤が生まれることもあります。
でもそれは、相手が悪いわけでも、FIREが特別すごいことをしているわけでもありません。
ただ、自分の価値観と他人の価値観が異なるだけの話であって、FIRE生活は「逃げ」でも「甘え」でもないと思っています。
終身雇用も崩壊し、定年というゴールポストが先に動かされるごと、世の中はアーリーリタイア者も自然と増えるでしょうし、いずれ「働いている方がえらい」とか「FIREはすごい」という感覚すらなくなる社会への、今は過渡期だとも思います。
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