先日、昭和の面影を色濃く残す熱海の大型ホテルに友人たちと宿泊しました。
テレビでも「昭和レトロ」として取り上げられるせいか、館内は若いカップルや家族連れの姿も多く、意外と賑わっていました。
ホテルの中を歩いてみると、時代を感じさせる空間がいくつも残っていました。
30畳ほどのカラオケ大部屋、閉鎖中のディスコ、数十卓の麻雀台、卓球台、ステージ付きの大宴会場……どれも、かつての昭和の社員旅行を思い出します。
そんな社員旅行は今となっては「闇」ともいえる内容ですが、今日はその体験を現代の働き方からの視点で綴ってみたいと思います。
「昭和型社員旅行」とは
僕が社会人になった平成初期、社員旅行は「社内の正式イベント」として当たり前に存在していました。
土日の旅行ですが、参加はもちろん任意ではなく業務の一部です。そして若手社員がその企画・運営を担うのも常識でした。
宿の選定、手配、移動手段確保、観光プラン、宴会企画・・すべて自分たちで構成します。
しかも各部門の部長が自部門の旅行を自慢しあうので、若手の企画運営の成果が「部の格付け」に関わる信じがたいプレッシャーもありました。
しかも難関は、昭和的な(パワハラxセクハラxモラハラ)が発生しやすい状況で、(ツアー企画xアテンドx宴会芸人x接待要員)の4役を手分けしてこなすことです。
物足りない企画でも、行き過ぎた企画でも、アウトになるので大変です。
宴会芸に専念
僕達は「宴会さえうまくいけばプロジェクトは80点を取れる」と踏んで、かなり踏み込んだ宴会設計をしました。
ですが部門50~60名、様々な立場の人が参加します。
それゆえ全体が満足するには、部長クラスの上役が喜ぶネタ、諸先輩型を持ち上げるネタ、かなり上の女性先輩社員が歓喜するネタ・・とセグメントごとに対策を考え、ネタ作りをしました。
クイズ、モノマネ、出し物など、誰かが不快にならず、それでいてウケる内容を作るには、事前のヒアリングから段取り、練習まで「本気」でした。
例えば、部長クラスが喜ぶネタは、予め部長の奥様にヒアリングをして「部長の知らない1面」を10項目ぐらい聞き出します。
当然、披露するとアウトなネタも出てきますが、それを除外し、「部長はお茶目だ」と思われるネタをクイズにするのです。
「〇〇部長が自宅でお風呂に入るときに持って入るものは何か?次の4つから選べ」といった具合です。
まあ、答えが「黄色いあひるちゃん(おもちゃ)」だったりするわけです。
決して、「部長は育毛シャンプーに年間幾ら使っているか?」なんてことはクイズにしないのです。
働き方と報酬のバランスは取れていたのか?
と、前置きが長くなりましたが、今回のテーマは、そうした働き方と報酬のバランスは取れていたのか?ということです。
僕らはレトロな畳張りの部屋でお酒を飲みながら、各人が体験した社員旅行や昭和の慣習について話しました。
するとこうした話題になりました。
「今は”失われた30年として平均給与が他の先進諸国のように上がっていない”とか”昭和や平成時代のサラリーマンはまだよかった”、"氷河期世代は貧乏くじだ"という声があるが、本当にそうかねぇ・・・?」
何しろその時代を当事者(しかも下っ端)として経験した僕らに共通する感覚はまるで違うからです。
「終電まで働き、残業代は全部出ないし、人の仕事をみて仕事を覚えろと言われ、飲み会で上司先輩に気を遣い、年1回の社員旅行は地獄のプロジェクト・・・のどこが羨ましいのか?」と。
要は、昔の働き方が本当に報酬に見合っていたのか?ということです。
若手は人権もなければ、時給換算したら最低賃金以下の待遇です。それでも「将来、出世したら給与があがる」とぶら下がっている人参をちらつかされ、でもいつしかその人参も終身雇用の崩壊と共に消えたわけです。
終わりに~かっての闇をどう捉えているか
こうしてみると、理不尽さでいえば、昭和・平成時代に就職した僕ら世代はかなり劣悪でした。
でも、そうした闇は「そういう時代背景」だったからです。
今の若い世代に僕たちが経験した「理不尽な体験」は不要だと思います。
そして僕自身も、今のようなホワイト化が進んだ時代に若手として働ければ、どれだけ居心地が良かったと、正直、思います。
でも、当時のバカげたこと、面倒なことも、今となっては不思議な感覚です。
部長の知らない1面を知って仕事で尽くしたいと思ったり、企画運営したメンバーは修羅場を乗り越えた同期ですし、そうした人とのつながりや思い出は太いのも事実です。
でもこうして、「そんな時代があったね」と否定も肯定もせず、同じ時代を過ごしたFIRE仲間たちと昭和平成の異常さを畳部屋でネタとして語り合えることが、何より財産かもしれません。
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