FIRE前には、「FIRE生活では膨大な時間を持て余すのではないか」と不安に思う人も少なくありません。
完全リタイアした僕も多くの自由時間を手に入れましたが、はじめから明確な目的や目標があって行動していることばかりではありません。
むしろ、日々の生活で「ちょっと気になったから、やってみる」ことが、結果として豊かな時間につながると感じています。
今日は、そんなFIRE後の時間の使い方を、2つの経験から綴ります。
父の納経帳~「ふと見つけた」から始める旅
FIRE後のある日、実家を掃除していると、亡き父が残した「お遍路の納経帳と掛軸」が見つかりました。
父は生前、四国八十八カ所の霊場を巡っており、その半分ほどの寺で納経を受けていました。しかし、残りの半分は未訪問で、納経帳には空白が残されていたのです。
現役時代の僕だったら、おそらく迷わず処分していたでしょう。
でもFIRE後の僕は、「自分が続きをやってみようか」と思い立ちました。
深い意味があったわけではなく、「なんとなく気になった」という軽い動機でした。
残された約40カ所のお寺を、4回の旅に分けて巡りました。
その過程で、空海の教えや真言宗について学び、「父は何を感じていたのだろう」と考えました。さらに坂本龍馬やジョン万次郎など、その土地の歴史にも興味が広がりました。
会社員時代には想像もしなかった世界が、ふとしたきっかけから広がっていったのです。
母の家系図~先祖を知るという試み
また別の日、母がノートに家系図を書いていました。理由を聞くと、「自分がいなくなったら、親戚との関係がわからなくなるでしょ」と言います。
そこで僕も戸籍を取り寄せ、祖父から曽祖父、さらにその前へと、遡れるところまで先祖を調べてみました。
古い字体を解読しながら、先祖の家族構成や居住地、その土地の歴史まで調べました。すると「先祖がいてこそ今の自分がある」と感じたり、戦時中に命を落とした親族に思いを馳せたり、「自分はどこから来たのか」と考えたりするようになりました。
FIRE後の時間の余裕がなければ、「面倒だし」とやらなかったことでしょう。
意味は“やってみてから”生まれる
これらの行動は、どちらもFIRE前の計画にはありません。ただ目に入ったものに反応し、軽い気持ちで「やってみよう」と思っただけです。
しかし実際に取り組んでみると、父や母の思いに触れ、知らなかった自分のルーツを知ることができました。意味は、最初からあったのではなく、やってみてから生まれたのです。
FIRE後は時間に余裕があるだけでなく、「とりあえずやってみよう」と思い、実際に動き出せる心身の余裕もあります。
会社員の頃なら見過ごしていたような小さなきっかけにも、反応できるようになりました。
お遍路も家系図も、結果として、僕のFIRE後3年間の大きなプロジェクトになりました。
終わりに
「FIRE後の時間の余白をどう埋めよう」「でも、やることが見つからない」と考える人もいると思います。
でも僕自身の経験では、FIRE前から大きな目的や立派な目標をすべて用意しておく必要はありませんでした。
むしろ、「ちょっと気になったから、やってみる」ことができる時間と心身の余裕が、思いがけない経験につながっています。
お遍路も家系図も、時間と心身に余裕がなければ、僕はきっと見過ごしていたでしょう。
反応し、やってみたからこそ、あとから意味のある経験になった。
そんな機会を拾い上げることができるかが、大事だと思います。
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