FIRE後、都会生活を離れて田舎生活をするというのは、自分のなかの選択肢にありながら断念した経緯があります。
やはり、都会生活の長い僕にとって、田舎ゆえの大きな-ハードルの1つは、うじゃうじゃいる虫たちです。
今日はそんな虫嫌いをちょっぴり克服し、田舎生活も悪くないなと感じた、そんな感覚変化の体験談です。
空き家のリノベ
僕は以前、自由投資予算を使って「空き家」を購入しました。
子供の頃には苦手だった「DYI」的な体験をしてみようと思い立ったからです。
先日、そんな空き家に出かけて納屋の整理や庭の草むしりを一日がかりでしました。
この季節、草をかき分けるたびに虫がにょろにょろ、ころころ、そそくさ、飛び出してくるし、通路にはクモの巣があって顔にまとわりつきます。
毎分ごとに、「うわっ」となってしまいます。
都会暮らしに慣れ切った僕にはなかなか刺激的な時間です。
でも、ふと気づいたことは、「これって、都会近郊でも庭のある暮らしをしている人も経験するし、田舎暮らしでは日常だ」と思うと、むしろ人口的には多いわけです。
「みんなやってるんだ!」と自分に言い聞かせ、ビビる気持を抑えながらやり続けました。
虫が怖いのも慣れる、意外な変化
こうしてまる1日、汗をダラダラたらしながらも、軍手で草を抜いてはかき分け、土を払い・・をしていると、虫がいてもだんだん「まあ、そんなもんだ」と思えるようになっていました。
必死になると虫なんていちいち気にしていられなくなります。
なので、田舎生活が特別でハードルが高いというより、自分の「体と心の慣れ」なのだと思うようになりました。
「これなら田舎生活もできるかも!」と少しずつ思い始めました。
ただ、どうしても生きている虫は殺せません。
クモなどが部屋の片隅にいても、ホウキに絡め取って、草むらのなかに逃がします。
忘れていた原体験
虫を殺すのがいやなのは、「ぐちゃっ」となるのが嫌だというのもありますが、子供の頃の原体験ではと思いました。
子供の頃、僕は虫を取るのが好きでした。
ある日、モンシロチョウとアゲハ蝶を沢山捕まえ、小さな緑色の虫カゴに入れて家に持ち帰りました。
それをみたおばあちゃんは「かわいそうだから逃がしてあげなさい。蝶だって広いところで飛びたいのよ。」と言ったのですが、僕は聞き入れず、おもちゃ箱のなかにしまい込みました。
後日、虫かごをひっぱりだすと、蝶は全然動かず、死んでしまっていたのです。
そのときに「外に逃がしてあげれば良かった」といった後悔や、可哀そうなことをした、おばあちゃんのいう通りだ、と思ったのです。
3,4歳の頃の出来事だと思いますが、それから虫を殺すのがどこか苦手になった気がします。
湯船のなかで感じた静かな肯定
そんな虫への慣れとか、子供の頃の原体験も思い出しながら、暑い日の日中に作業を終えて自宅に帰りました。
いつもはシャワーですが、その日は肌にさんざん虫が触れてしまったので、汚れも汗も流した後に久しぶりにお湯を張った湯船に入りました。
その瞬間、全身がほどけていくような心地よさがありました。
「虫がいても、土にまみれても、ちゃんと気持ち良く一日を終えられる田舎暮らしも悪くないな・・」と思いました。
終わりに
人間、環境には順応するものです。
子供の頃には当たり前にできた虫いじりは、今は苦手ですが、こうした経験を日々していれば、少しずつ慣れて楽しさを見い出すのではとさえ思います。
何事も経験をしないとわかりません。
やはりリタイア後の自由投資予算としてあえて「嫌いだ、苦手だ」に投資してやってみると、慣れもできれば、楽しめるわけです。
こうした「感覚変化」を楽しめるのもリタイア生活の醍醐味です。
まあ、よく考えてみれば、虫たちよりも都会にいる「変な人間」のがよっぽど危険なわけですからね。。
↓