最近、「もはや休みは贅沢!5割が物価高で休日を返上…」という記事を目にしました。
物価高の影響で、副業やアルバイトに時間を割き、休日すら働かざるを得ない人が増えているという内容です。
特に気になったのは、その労働が「余裕資金を作るため」ではなく、「現状を維持するため」である点です。
もはや休みは贅沢!5割が物価高で休日を返上…「稼ぐ」に走る日本人の末路
結果として、「自由に休むこと」が贅沢や特権のようになり、FIRE(早期リタイア)への関心であり羨望が高まっていくのではと予感してしまいます。
今日は、こうした形でFIREがもてはやされる社会には違和感を覚える理由を綴ります。
ワークライフバランスはどこへ?
記事では以下のように書かれています。
調査では「物価高によって、労働を“生活のため”と強く感じるようになった」との回答が64.3%にのぼっており、・・「終業後の時間を副業に使いたい」等、“自分時間”を仕事に振り向ける動きが目立ちます。
この実態は、もはや「ワークライフバランス」の崩壊を意味しています。
本来、ワークライフバランスは過労を避け、仕事以外にも精神的に豊かで健康なる人生をもたらす概念だったはずです。
それが今や、記事の通り、大半の人が「休日や自由な時間を使ってお金を稼ぐ」といった使い方で労働を求める(休息が奪われる)本末転倒な状況になってしまいました。
自由が「報酬」になってしまった時代
こうして「時間の限り働くことが当たり前」といったことが広がるにつれ、「休日や自由な時間を自分のために使う」という当たり前のことが「特別の報酬」に感じるようになってしまいます。
すると、それを恒常的に得られる「FIRE」というライフスタイルは理想郷のように映ることになります。
FIREとは本来、「働かないといけない現実から逃がれる手段」といった意味合いだけが広がってしまいます。
FIREは「選択」する自由
FIREは、そうした「働かずに暮らせる人生」と誤解されがちですが、本質は、「働いてもいいし、働かなくてもいい」と選択肢を持つ状態のことです。
ところが、「休日も働かなければ生活できない」、「FIREは、そんな窮屈な社会からの唯一の脱出方法だ」として認識が広がると(それは1面としては正しいものですが)、社会の在り方としては健全とは言い難いと感じます。
FIREが「特別」ではなくなる未来を
やはり、当然ながら「誰もが自分に合った働き方と休み方を選べる社会」というのは理想です。
具体的には、長期的にコツコツと資産形成を続けていけば、セミリタイアFIREを実現でき、仕事にブレーキを踏みつつ、豊かで健康なる生活を少しずつ実現し、そしていずれ完全FIREをする・・。
こうした流れが人生のステージで自然に起こることが望ましいと思っています。
ですが窮屈な社会が蔓延すると、「FIREが最後の希望」のように見えてしまうのは、どこか社会の認識としては健全ではないと思ってしまいます。
終わりに
この記事の根っこにある問題は「行き過ぎたワークライフバランス」の崩壊です。
「残業をしてでも仕事をしてお金を稼ぎたい」と望む人が、「残業禁止」という制約で別の稼ぐ手段(副業やら)で必ずしも効率が良くない稼ぎ方をしても、幸せであるとはいえません。
「働きたい人は働ける」、「休みたい人はちゃんと休める」、「副業して稼ぎたい人はそうできる」、そんな柔軟な選択肢が提供される社会であれば、FIREの資金も早く貯められるわけで、この根本が狂うのは残念なことです。
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